其の錬金術師は夜に歌う(一)

 真新しいブラウスに袖を通す。|中央《セントラル》を出る時に|餞別《せんべつ》として送られたものだった。|誂《あつら》えたようにしっくりくるのは、送り主の技量によるものだろう。中央に居た時にはよくよく世話になったものだった。そのブラウスに合う形だと言われたタイトスカートは丈を短めにとオーダーした通り、納得のいく長さだ。伸縮性の強い布地で作られているようで、激しい動きにもちゃんと耐えうるらしい。ストッキングは苦手だと言ったら、ガーターストッキングを用意された。とにかく、服飾に関しては全て外注してしまったこともあり、万事良好だった。
 当てがわれたロッカーの扉には、キャロルゴドウィンと名が書かれた紙が貼り付けられていた。何とはないことなのだろうが、自分の|輪郭《りんかく》がはっきりと際立ってくるような気がする。名前が書かれた紙を指でそっと撫でてから、ロッカーの扉を開く。真新しい白衣がきっちりとハンガーに引っ掛けられていた。研究者や医師の白衣と同じように見えるが、唯一の相違点は胸元の|刺繍《ししゅう》だ。大総統直轄機関の証である大総統紋が刺されている。それにはあまり目をやらず、キャロルは引ったくるようにして白衣を取り出した。左腕、右腕、と袖を通し終えると、すっかり袖が余ってしまっていることに気付く。一番小さいサイズをオーダーしたはずだ。オーダーミスかと思い慌てて脱いで首元のサイズタグを確認する。XXSと書かれていた。

 女子更衣室からだいぶ歩いたが、目的の部屋にはまだ着かない。少し時間に遅れているのも気にして、早足で歩いているにも関わらずだ。結局、サイズの合わない白衣は袖をまくって対応することにした。作業中に袖が落ちてくるのも|煩《わずら》わしいと思い、錬金術で接着していたら時間を食ってしまったのだった。
 便の悪い部屋の配置に加えて、女子更衣室におけるキャロルのロッカーの配置もかなり悪かった。改めて直属上官の置かれた立場の悪さを思い知る。中央から異動としか聞いていなかったが、これではまるで厄介払い――つまりは左遷だ。その上官に付いているが故にキャロルの扱いも不遇なものなのだろう。
 ようやく辿り着いたのは、簡素なドアが建て付けてある部屋だ。いや、倉庫だとか物置のような表現をした方がしっくりくる。壊れそうなそれを軽くノックして、取っ手を回す。
「おはようございます」
 小さく声をかけると、無言の上官と目が合った。不機嫌だ。というよりか、叱責したいのを我慢しているようだ。前日まで雑然としていた部屋は、とりあえず書き仕事くらいはできる程度に整えられてある。上官の前にずらりと並んだ軍服たちは、こちらに目もくれず上官の方を向いていた。心得た、とばかりにキャロルもそれに|倣《なら》う。
「改めて」
 キャロルがブレダ少尉の横についたのを確認してから、上官は咳払いをした。
「リザ・ホークアイ少尉」
「はい」
 キャロルから一番遠い位置にいる女性士官が返事をする。敬礼姿も様になっていた。
「ヴァトー・ファルマン准尉」
「はっ」
 その隣にいたのは、見知った顔の男性士官――正しくは准士官というらしいが、キャロルには違いが分からなかった――だ。
「ケイン・フュリー軍曹」
「はい!」
 さらにその隣には、年近そうな男性下士官だ。全員が慣れた手つきで敬礼をする。キャロルは思わず自分の右手をじっと見つめた。その様子に気づいたのか、上官が再び不機嫌そうな顔で声を落とす。
「あと……そこの新人三人組」
「まとめてっスか!?」
 あからさまにぞんざいな扱いを受け、ブレダの隣でハボック少尉が不満げな声を上げる。しかし、上官は構わずに続けた。
「諸君らの上官たる、ロイ・マスタング中佐だ」
 宣言したマスタング中佐以外、この場にいる全員が同様に敬礼を取る。慌て、キャロルもそれに倣った。一応、軍医研修は受けていたが、日常的に敬礼を取ることもないため忘れがちだ。
「これより、私の命令を遂行するべく励んでもらう」
 言わずもがなではある、と言いかけたものの誰一人として口を開かないため、口に出すのはやめておいた。
「まあ、この待遇で分かっているとは思うが」
 そう言った彼の視線は、この倉庫――否、執務室の壁を這わせていた。誰もがこの部屋を倉庫と言い表すだろうという根拠の一つに、窓のない部屋だということがある。窓があったところで位置的には周囲の建築物の陰にあたるため、陽が差し込むことはないのだが。つまりは、そういったぞんざいな待遇というわけだった。
「なかなかに激務だぞ。覚悟はいいな?」
「はい!」
 間髪を容れずに一斉に声が上がった。一瞬乗り遅れたものの、今度はキャロルも合わせることができた。
「よし」
 とりあえず及第点か。一応は満足そうに頷く上官と目が合う。士官学校上がりではないのだから、そちらの文化を強要されても対応に困る。キャロルは不服に眉を寄せてみせた。
「ああ、新人は右から自己紹介だ」
 それには応えず、ロイはしれっと視線をそらす。キャロルの右隣のそのまた隣、大柄な青年が面倒そうにため息をつく。
「右からって」
 ロイの睨みに耐えられなかったのか、彼は咳払いで誤魔化してから敬礼した。
「今期入隊のジャン・ハボック少尉です」
「同じく、ハイマンス・ブレダ少尉です」
 大声を張り、二人続けて名乗る。新人とロイが言った通り、彼らは士官学校を卒業したばかりの新入隊員と言える存在だった。キャロルは士官学校を経ずに入隊した軍属の身分であるために詳細は知らないが、士官学校を卒業してすぐさま入隊というわけではないらしい。研修期間を経てからの配属だということだった。キャロルにしても研修を経て初めての配属ということもあり、彼らとは所謂同期組だ。
「マスタング中佐付き医師のキャロルゴドウィンです」
 教わった通りに名乗ると、すぐ隣のブレダがこちらを怪訝そうに見ているのが分かった。
「中佐付き医師って……!?」
キャロル先生、錬金術師なんですか?」
 訊ねたのは、フュリー軍曹だった。
「そうだよ。言ってなかったっけ?」
 彼とは顔見知りではあるが、そういえば詳しく説明したことはない。
「というか付き医師ってそもそも採用が少ないんじゃ……」
 ブレダがこちらを見たままでつぶやくと、彼に向けてか隣のハボックが首を傾げる。
「何それ?」
「おまえ、座学で本当に何も身についてねえな」
 呆れたブレダが返すと、ハボックは露骨に不機嫌な表情を作る。彼らは士官学校からの同期生だ。同じ授業を受けたはずだが、知識量には差があるらしい。
「国家錬金術師将校随従医療錬金術師制度ってのがあって」
「長え」
 辟易としてハボックがつぶやく。
「国家錬金術師に付いて治療する専門の医療系錬金術師のことだよ」
 国家錬金術師、というくだりでブレダはロイの方を見やった。が、その意図に気づいているのかいないのか、ハボックはキャロルの方へ視線を向けたままだ。
「医療系錬金術師……?」
「うん、だからあたし」
 とりあえず自分を指さして頷いておく。
「普通の医者じゃねえんだ?」
 何とも答えづらい質問だ。彼の言うところの普通の医者というものがどういうものなのか、キャロルには理解できていなかった。すなわち、軍医のことなのか、それとも病院の勤務医のことなのか、というあたりだ。
キャロル先生は、医師免許取得の際に錬金術の課目を選択されてますよね」
 助け舟を出してくれたのは、ファルマンだった。病院の勤務医を狙うのであれば、錬金術に関する課目は必要ない。つまり、キャロルは最初から軍医になることを目的として医師免許を取得した医師だということだ。理解したようなしていないような、神妙な面持ちでハボックは二度ほど頷く。
「そだけど、なんでファルマンさんが知ってんの?」
 訊ねると、彼は短く「ああ」と声を漏らしてから続けた。
「内部広報に出てましたよ。最高得点だったって」
「マジで!?」
 確かに合格証は受け取ったが、得点のことまで気にしたことはなかった。
「ああ、切り抜いてある」
「なんで!?」
 続けて事もなげに言い放つロイにも驚いた。医師免許取得の際に彼に軽く報告はしたものの、そこまで反応があったわけではなかっただけに、意外だった。素直に驚いていると、リザがそっと寄ってきてキャロルに耳打ちする。
「顔には出してないつもりらしいけど、相当喜んでらしたわよ」
「そ、そうなんだ……」
 それも意外だった。正直に言うと、彼のキャロルへの態度は昔ほど親密なものではなかった。有り体に言えば、興味を失してしまったように見える。だからこそ、キャロルの挙動で一喜一憂することなんてもうないのだと思っていた。まさか、内部向け広報記事を切り抜くほど興味があるとは思わなかった。
「何つーか、別世界の話だわ。すげーな、あんた」
 ようやく|何某《なにがし》か得たらしいハボックが声をかけてくる。
「どうも」
 短く返すと、そのやりとりに呆れたのか、ロイが口を挟んできた。
「おまえが言うと今一つ凄さが伝わらん気がするが」
 確かに、と思いはしたが口には出さない。
「すいません、お勉強系からっきしなもんで」
「それでよく士官学校を卒業できたな」
「まあ、死ぬ気で勉強はしました」
 堂々と言ってのけるハボックに、小さくブレダが付け足す。
「一人でやったわけじゃねえがな」
「うるせえ」
 ブレダを肘で小突いたハボックの反応からするに、彼らはそれでバランスの取れた二人組なのだろう。
「ともかく、キャロル先生はそういった希少な錬金術師だ」
 咳払いで注目を促したロイに、視線だけで呼ばれる。察してやるのも癪だったが、察しなければそれはそれで面倒くさい。とぼとぼと彼に寄ると、くるりと半回転させられ白衣の上から両肩を掴まれた。
「そして、それを付けている私はもっとすごい」
 上を見ると、得意満面な上官がいた。こういう行動一つ一つが顔のつくり含めて幼く見える原因だと、キャロルは思っていた。幼い頃は先輩錬金術師として尊敬していたものの、ここ最近の彼に対してはどうもそういう気持ちが起きない。以前、ロイはもっとカッコ良かったのに、とぼやいたらリザから嗜められたこともある。曰く「そういうことは本人には言わないように」だそうで、彼女にしても同様に感じるところはあったのだろう。そしてそれは、この場にいる彼の部下らも同様だったらしい。こちらに背を向けて、何やら話し合っている。
「それこそイマイチ伝わんないんだよなあ……」
 ハボックが普段の調子でボヤいているせいで、こちらにも丸聞こえだ。
「馬鹿! あの人、すげえ伝説持ちの人だぞ」
「ああ、イシュヴァールの英雄、ですか?」
「普通の青年ですもんね、見た目は」
 嗜める三人の声は幾分潜めてくれているが、それでも何となくは分かる。キャロルに聞こえているということは、おそらく本人にも届いているだろう。気になってこっそり背後を見ると、薄ら笑ってさえいる。想定内なのだろうか。
「何をこそこそやっている」
「いえいえ!」
 |一頻《ひとしき》りやり取りを聞き終えてから声をかける上官に、四人揃って首を振る。誰がとは言わないが、楽しそうだ。上官の威厳は皆無だが。
「マスタング中佐は国家錬金術師」
 和やかな雰囲気に割って入ってきたのは、リザだった。凛とした声に、多少緊張する。
「焔の錬金術師よ。その性質上、錬金術の絡む事件が発生すれば、真っ先にうちに情報が回ってくるわ」
 錬金術の絡む事件というのは、穏やかではない。通常、市街地で遭遇する錬金術師というものは平和な者ばかりのはずだ。中央にいた頃でも錬金術師の絡む事件というのは一件ほどしかなかった。にも関わらず敢えて話題に出すということは、キャロルが知らないだけで相当数の錬金術関連事件があったということだろうか。
「あとは医療案件か。医師を付けている都合上」
 軽く二度ほど背中を叩かれる。どちらにしろキャロルに関わりのある話だ、という上官からの念押しだろうか。
「いずれにしろ調査も特殊だし、危険を伴うことが多い」
 声色を神妙なものにしたロイが付け足すと、リザが真っ先に頷いた。
「気をつけて対応してちょうだい」
「はい」
 全員が揃った返事に、言いようのない不安感と緊張感が漂う。何となく居心地の悪さがあって、キャロルはポケットに手を伸ばした。
「どうした、先生。さっきから珍しく静かだね」
 目聡いロイの指摘に、思わずまごついてしまう。
「いえいえ……ええと」
「遠慮するなんて、ますます君らしくない。何だ、言ってみろ」
 観念して、ロイの方を向いた。
「じゃあ、お聞きしますけど」
「ああ」
「この部屋って禁煙ですか?」
 素直に訊ねたのに、返ってきたのは嘆息だった。
キャロルゴドウィン
「はい」
「君、いくつだ?」
「スリーサイズですか?」
 わざととぼけて訊ねると、彼は急に口調を荒らげる。
「馬鹿! 年だ! 年齢!」
 そうだろうな、と思ったから話題を逸らしにかかったのだ。そう簡単にはいかなかったが。
「十六歳ですけど」
「タバコを吸うような年ではないな」
「あー、まあ、そうですねえー」
 叱責するような視線に耐えきれずに目を逸らす。
「聞いてみただけでーす」
 くるりとロイに背を向けるが、すぐに背後から手が伸びてくる。
「うわっ!? 何すんの!?」
 白衣のポケットをまさぐっていたロイだが、すぐに何かを見つけてつまみ上げた。
「タバコ」
 目の前にタバコの箱を掲げられ、逃げ道を塞がれてしまう。
「えー……えへへ」
 別に吸うつもりじゃない、といつもの言い訳を口にしかけたが、
「ライターまであるぞ」
 タバコの箱の後ろから滑らせるようにして、ライターまで見せてくれた。器用な男だ。小さく舌打ちして、ロイから二つともひったくる。
「まあまあ。いいじゃないですか、このくらい」
 白衣のポケットに仕舞い込みながら言うと、「このくらい?」と不満げな声が返ってくる。失策だ。
「良くない。そもそも、君は医師だろう。患者の健康だけでなく、自らの健康にも気を向けるべきだと思うが」
 くどくどと続くお説教に、キャロルは辟易として息を吐いた。そういえば喫煙がバレた時もこうだった。あの時は「そのうちやめる」と言い訳をして難を逃れたものだが、今回はそうもいかなそうだ。さて、どうするか、と考えていたところ、ちょうどタイミング良くファルマンがドアを開けてくれた。
「あっ! あんなところにセクシー美女!」
「何!? どこだ!?」
 ドアの先を指差したおかげで、さっさと廊下へ出て行ってくれた。つくづく、彼が女好きで良かったと思う。
「あっぶねー……」
 安堵の息を漏らすと、呆れたような声が頭上から降ってくる。
「おまえ、そんなの吸ってるからチビなんだろ」
「うっさいなあ。関係ないっしょ。あんたに言われたくないんだけど」
 ハボックを睨み上げる。彼は、キャロルよりも喫煙本数の多いヘビースモーカーだ。
キャロル先生……さすがにその年でタバコはやめたほうがいいと思いますよ」
 慌てて出て行ったロイに圧倒されて立ち尽くしていたファルマンが、ようやく我に返って忠言をくれる。
「そのうちね、そのうち」
「言い訳、おっさんくせえな」
 今度はブレダだ。美少女に向かって、とんでもない評価をくれるものだ。
「ホント、見た目と中身の一致しない女だな」
 一応美少女という件は認めてくれているのか、ハボックは言いながらキャロルの頭を乱暴に撫で回す。髪が乱れるからやめてもらいたい。
「中佐、戻られないわね」
 ぽつりと言ったリザに、全員がドアの方を見つめた。
「そういや、そうですね。美女追いかけていったんですっけ?」
 ブレダが訊ねると、リザは呆れて首を振る。
「いるわけないじゃない。こんな|僻地《へきち》に」
「ってことは?」
 ブレダが眉を顰めると、フュリーは「あっ」と声をあげる。
「サボりですかね……」
 上官用に設えた机の上に山と積まれた書類を見やり、フュリーが結論づける。異論はなかった。あの上官の書類仕事に対しての情熱のなさは、折り紙つきだったからだ。
キャロ
 今度はリザが詰め寄ってくる。
「な、何?」
「あなたのせいよ。責任持って中佐を連れ戻して!」
「何でさ!?」
 リザは機敏に上官の机を指差す。
「じゃあ、あなたが中佐の代わりに書類仕事をやっつけてくれるのね?」
 気絶しそうな量の作業を想像しただけで凄まじい疲労感が襲ってくる。すぐに首を振り、敬礼を作った。
「探してまいります、ホークアイ少尉!」
「よろしい!」
 俊敏に踵を返し、部屋を後にする。リザとは同じ上官を持つ同僚の関係にあたるが、上官よりも恐ろしい。


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