其の錬金術師は夜に歌う(二)

 キャロルがたどり着いたのは、たまたま開いていたドアから続くテラスのような場所だった。あの倉庫のような部屋とは違い、空気の通りも良いし日当たりもそこそこに良かった。
「なーんちゃって。タバコ吸えない部屋なんて用はないですよーっと」
 真面目にロイを探したところで、キャロルには何のメリットもない。そもそも書類仕事はキャロルの業務内容ではないので、手出しはできないはずだ。気づいてからは、タバコをこっそり吸える場所を探すことに目的を変えていた。ここはちょうど良い。人影もないし、ロケーションも及第点だ。そっとドアを閉めてから、テラスの|縁《へり》に設えてある手すりに上体を預けた。白衣のポケットからタバコの箱とライターを取り出す。ライターは中央で適当に買ったものだが、タバコの方はずっとこの銘柄にこだわって買っている。白地に青みがかった黒文字でC14と書かれただけのパッケージで、特段目立つものでもない。にも関わらずこれを買うのは、風味が気に入っているというのが一つある。
「あれ? つかない……」
 オイル切れか、ライターから火が出ない。替えのライターも持ち合わせがない。ついていなかった。咥えたままのタバコをどうしようかと考えていると、横から火が出てくる。
「どうぞ」
「あ、どーも」
 ありがたく貰って、一息吐く。最初の一口、二口目が一番好きだ。熟れていない香ばしさが味わえる。落ち着いたところで、ふと火の持ち主が気に掛かって|出所《でどころ》をたどった。キャロルの横で手すりに肘を掛けていたのは、先ほど美女を追いかけていった上官殿だ。ライターは持っていないが、こちらに差し出していた手には発火布で作られた手袋がはめられていた。
「って、おぎゃー!?」
 驚いて後ずさりすると、ロイは不快そうに眉を寄せる。
「何なんだ、人を怪物扱いか?」
 手袋をゆるゆると外しながら、ロイがぼやくようにしてこぼす。
「何でいるの!?」
 落ち着き払った彼とは対照的に、心底慌ててキャロルが訊ねる。
「こっちのセリフだ。こっそり休憩していたところに乱入してきたのは、君だろう?」
「全然気づかなかった」
 気配すらなかったことに、今更舌を巻く。普段から気配まで殺して休憩をもぎ取っているのだろうか。呆れるやら、感心するやら、忙しい。呆れが勝ってロイを睨みつけると、彼はこちらに手を差し出してくる。
「一本くれ」
「えー」
 眉を寄せてあからさまに嫌がる顔を見せると、彼は苦笑した。
「火をやっただろうが」
「しょうがないなあ……」
 それを言われてしまうと断る術を失ってしまう。キャロルはしまいこんだタバコの箱を取り出してロイに手渡す。
「はい」
 火、と言い掛けたロイは途中で気づいて大人しく発火布の手袋を取り出した。発火布と名はついているが、それ自体はせいぜい微かな火花を散らすくらいの能力しかない。それでもタバコに火をつけるほどの炎が出現したのは、錬金術による錬成のおかげだ。もちろんそれはキャロルの錬成ではない。火力の調整には可燃物の錬成と可燃ガスの錬成を細かく扱わなければならず、強めるのはもちろん弱めるのにも術師の腕前が必要だった。難なくこなしてみせる姿に、彼が国家錬金術師であることを思い起こさせる。それにしても面倒な作業であることに違いはないため、彼は面倒そうに作業をこなしていた。タバコに火がついたのを確認してからロイは箱を投げてよこしてくる。それを上手く受け取りポケットにしまいこんだ。
「何だこれは……こんなもの吸ってるのか、君は」
 一口吸ったあとで忌々しげに呟いたロイに苦笑してみせる。一本ねだる奴は多々いたが、ほとんどの人間が同じような感想を漏らしていた。重たいだの、女が吸うようなもんじゃないだの、言葉は違えど意味は同じだ。
「元々、じいちゃんが吸ってたやつなんだけどね。吸ってるうちに気に入っちゃった」
 煙を吐き出してから答えると、臭いものでも見るような視線が向けられていた。
「何でドン引きしてんのさ」
「いや……まあ、いいよ」
 ロイは、タバコをくわえたまま手袋を器用に外して、また顔を|顰《しか》める。しっかりと軍服のポケットにしまい込んでから、苦々しく煙を吐き出した。
「男避けにはなる」
「ふーん?」
 彼の言葉の意味は分からないが、あまり興味もない。適当に相槌を打って、またタバコを咥えた。手すりに両肘を置いて外の景色を眺める。多少奥まった位置にあるせいか、市街地が一望できるような場所ではなかったが、それでも空は眺められる。倉庫よりはマシだ。
「そういえば、東部には慣れたか?」
 隣で同じような体勢でくつろいでいたロイが、話を向ける。生まれてこのかた中央と南部以外の地域に足を踏み入れたことのないキャロルは、環境の違う東部の街に戸惑っていた。
「あー……まだ見てまわってないんだよね」
「そうか。イーストシティには歓楽街もある。規模は中央とは違うがね」
 嫌な言い方をするな、と内心で毒づく。中央の歓楽街には、良い思い出があまりない。素直に顔に出てしまったらしく、こちらを見ていたロイが少しだけ笑っていた。が、すぐに彼は表情を強張らせる。
「イシュヴァールの名残でスラム化している地域も多い。それと」
 東部地域といえば、これだった。二年前だかに終結したイシュヴァールでの内乱の話だ。やはり場所柄、まだ影響が色濃く残っているのだろう。
「違法薬物も蔓延していると聞く」
「そう……」
 違法薬物、と聞いてぎくりとはしたが、反応はせずに目を逸らす。
「君の出番も近いかもしれんな。あれも役に立つだろう」
「あれ……」
 わざと濁して言うのは何故なのだろうか。軍部においても口に出さない方がいい事情というのは考えなくても分かるが、あまり良い状況ではないように思える。
「時間のあるときにでも勉強はしておいてくれよ、先生」
 敢えて一般的なような言い方をして締め括ったロイは、まるで上官のようにキャロルの肩を軽く叩いた。
「頼りにしている」
「はあーい……」
 間延びした返事をすると、彼は煙を吐き切ってからその場にタバコを落とす。それを一度踏みつけて、キャロルの前を横切っていった。
「あ、そうだ」
 去り掛けたロイの背中に、思い出して声をかける。
「部屋で中佐の帰りを待ってる美女がいるよ。早く会いにいってあげてね」
「バレてるのか……」
 足を止めた彼は、がっくりと肩を落としていた。あの書類の山を思い起こすと、その反応も当然だとは思う。
「美女が怒ると怖いからねえ」
 他人事に笑い飛ばすと、彼は徐に振り向いてこちらを睨みつける。
「君こそ、うちの美女を怒らせるんじゃないぞ」
「うっ」
 そういえば、ロイを連れて帰ると美女に約束していた。このまま手ぶらで戻れば、キャロルがサボっていたと勘違いされそうだ。慌てて吸いかけのタバコを踏みつけて火を消し、先に戻ろうとするロイの後を追いかけた。


#鋼の錬金術師 #-其の錬金術師は夜に歌う
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