其の錬金術師は夜に歌う(三)

 イーストシティの歓楽街、通称オパール街のメインストリートから少し外れたところに、飲み屋が立ち並んでいる。表通りは雰囲気も明るい店が多いが、こういった小路には多少ニッチな店が多かった。そのうちの一軒に、ティートゥリーと看板を掲げたバーがある。小さな店であり、少人数の従業員で接客している|所謂《いわゆる》男性向けの接待付きバーだ。普段なら客の出入りもまばらなものだが、今日は何故か若い男性客がはしゃぐ姿が多く見られ、あまり見慣れない光景にバーの女主人は|疲弊《ひへい》していた。
「ママ、大丈夫?」
 カウンター越しに声をかけたドレス姿の若い女性は、ここの従業員だ。カウンターの中でため息をついていたママと呼ばれた女主人は、乱れた髪を手で撫で付けながらため息をつく。
「はあ……今日は珍しいお客さんが多かったわねえ……」
 店内に客の姿はないが、散乱したグラスや氷が嵐の去った街並みを想起させる。新しいグラスに客の残したであろう氷と水を注ぎ入れ、若い女性はママにそのまま差し出した。
「ほら、お水」
 受け取ったママは、それを一気に飲み干す。普段は若い男性客はそう多くなく、皆静かに飲むような店だ。ママもそうだが、従業員である女性も相当飲まされていた。酒に強い体質なのか女性は顔色も悪くはないが、ママの方はだいぶ赤らんでいるのが暗い照明しかない店内でもよく分かる。
「ありがとう。もう、店閉めちゃいましょうか」
 すっかり消沈しているママが提案すると、女性も素直に頷いた。
「はーい。じゃ、看板閉まってきちゃいますね」
「お願いね」
 散乱している氷やらを器用に避けながら店を後にする女性を見送り、ママは深々とため息をついた。

 店先の立て看板をさっさと畳み、いつものように店内に仕舞い込むためにドアが閉じないように足で押さえつけていると、いつもと違う感触に気がついた。ドアの向こうで何かがつっかえている。
「ん? あら?」
 何度か足でドアを押してから、女性はドアの向こうを覗き見た。
「ちょ、ちょっと! お兄さん、大丈夫!?」
 ドアとは反対側を頭にして倒れ込んでいたのは、若い男性だ。慌ててそのままの体勢で声をかけるが、反応はない。というか、ぴくりとも動かなかった。
「どうしたの?」
 尋常ではない雰囲気を察知してくれたのか、ママは店内から慌てて飛び出してきてくれた。しまいかけていた看板をさっさと店内に引き込んでから、女性の視線の先へ向かう。
「死んでる……?」
 訊ねる女性に、ママは首を傾げる。
「さ、さあ……でも」
 ママは一旦言葉を切ってから、若い男性の肩を揺すった。やはり、反応はない。それから男性の口元に手を当てて呼吸の有無を確認していた。
「このまま、ここに置いといたら死んじゃうわよねえ」
「ど、どうしよう……」
 ドアの向こうから恐る恐る呟く女性とは対照的に、ママは落ち着き払っている。
「そうねえ、こういうときは」
 一瞬何かを逡巡させていたが、意を決したように口を開く。
「カメリアちゃん、かしら」
「カメリアちゃん?」
 聞き慣れない人物名に、女性は首を傾げた。



 バー・ティートゥリーの従業員たちが倒れた男性を発見してから約三十分後、小柄な金髪の少女がバーのドアを勢いよく開けた。
「ども、お待たせしましたー」
 散乱した店内に倒れ込んでいる男性、という状況にはにつかわしくないほど明るい声に、従業員の若い女性は怪訝に眉を寄せる。
「あなたがカメリアちゃん?」
「そうですけど」
 カメリアと呼ばれた少女は、部屋着のような格好だった。ドレス姿のままだった女性と比較すると見窄らしい格好ではあるが、顔立ちがはっきりしているせいかどことなく堂に入っているように見える。歳は二十歳前にしか見えないが、そう幼くも見えない。
「ああ、カメリアちゃん。こっちよ」
 倒れ込んだ男性を見守るようにしてソファに腰掛けていたママは、カメリアに向かって手招きをした。素直にママのもとへ向かい、その足元に転がっている男性の顔色を伺う。
「悪いわね、忙しいところ」
「いえいえ。こいつ? 死にかけてんの」
 訊ねながらカメリアはしゃがみ込み、慣れた手つきで男の首筋に手をやった。
「ええ。店の前に落ちてたのよ。確か……」
「二時間前に店を出た客で」
 ママの言葉を女性が引き取って答える。
「そっからずっと外か。でも、低体温ってほどじゃないな」
 首筋から手を離し、カメリアはすぐに男性の両肩を強く叩く。
「おーい、兄ちゃん大丈夫?」
「んー……」
 先程は反応すらなかった男性は、少し身じろぎをして唸った。
「意識は|朧《おぼろ》げながらあるね。返答もできてる」
 カメリアはしゃがみ込んだままでママの方を見上げる。
「飲み過ぎじゃね?」
「それが、そうでもないのよ」
 ママは首を振って、カメリアに一枚の紙切れを差し出した。会計伝票だ。中身をさっと読み、今度はカメリアが首を捻る。
「ウイスキーの水割りをグラスで二杯? こんなんで酔っ払うかねえ」
「さあ」
 人によるから、と女性が小声で付け足したところで、ママは何か思い立ったのか顔を上げる。
「そういえば」
 カメリアがそちらを向くと、彼女は意気揚々と続けた。
「ずっと、おタバコ吸われてたわね。楽しそうに」
 楽しそう、というあたりが不穏だ。確かに高揚するような効果がないではないが、そこまで効能が高いわけでもない。
「よっぽど好きなのかしら?」
「タバコ……」
 カメリアが男の衣服をまさぐる。ラフな格好のせいか、タバコが入るようなポケットはパンツくらいにしかついていない。後のポケットに入れていないことを祈りながら探っていると、手応えがあった。
「あった。これか」
 取りだして見てみるが、特段変わったところもない。ごく一般の成人男性が嗜むような銘柄の、見慣れたパッケージだった。
「フッツーのタバコっぽいけどなあ」
 精査したいところだが、店内の暗がりではできない。肩から斜めにかけていた小ぶりのバッグから密封用の特殊パックを取り出し、そこにしまいこむ。
「ま、どっちにしろ時間経過で意識戻るでしょ。店置いとく?」
 カメリアが適当に言い放つと、ママは慌てて首を横に振った。
「嫌よ」
「じゃ、通報してよ。病院運ばないと処置できないよ、こんなん」
「それも、ちょっと……」
 言い淀むママに首を傾げていると、若い女性がカメリアの肩を指で突ついた。
「さっき、お客さん同士の乱闘で憲兵さん呼んだばっかりなのよ。この上また騒ぎにでもなったら商売あがったりだわ」
 なるほど、面倒の多い店として認知されてはまずいということだろう。散乱している店内は、その乱闘の余韻だということらしい。タイミングが悪かった。
「そのためにカメリアちゃんを呼んだのに」
 ママがカメリアを睨みつける。大きくため息をついてから、カメリアは頭を乱暴に掻いた。
「はいはい、分かったよ。電話貸して」
「だから、通報は」
 電話へ向かおうとするカメリアを、若い女性が肩を掴んで止める。足を止めたカメリアは、明らかな舌打ちをした。
「足ないと運べないっつの」
 言い捨てて、女性の手を振り払う。あまりの剣幕に、彼女はそれ以上身動きが取れなくなってしまった。


#鋼の錬金術師 #-其の錬金術師は夜に歌う
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