其の錬金術師は夜に歌う(六)

「えー? それじゃ、お偉いさんってやつですか?」
 囲っている女性のうちの一人が声を上げると、続けてきゃあきゃあと何らかの嬌声が上がる。バーの一角に設えられた高給ソファも、囲っている数人の女性たちも、全ては彼のおかげでありつけているのは分かっていた。
「まあ、そこそこの地位ではあるかな」
 仕事中には見たことのない得意満面な上官に、ハボック少尉は小さくため息をついた。キャロルやリザといった女性陣がこれを見た日には、軽蔑の眼差しで射抜かれることになるだろう、と密かに考える。
「さすがー!」
「知らなかったー!」
「すごーい!」
「センスあるー!」
「そうなんだー!」
 次々に上がる上官だけを持ち上げる声には、さすがに興を削がれて目を背けた。
「んだよ、結局自分が遊びたいだけだろ……」
 調査と称して意気揚々と入店したまでは良かったものの、手慣れた様子で女性たちにチップを配って回る姿に思い知ってしまった。こいつは、ただの女好きだ。羽目を外さないように、と忠告を受けたことを思い出す。恐らく、あの先輩士官は彼の癖を熟知しているのだろう。本人もまた端正な顔立ちをしているのがタチが悪い。仕事であるとはいえ、囲っている女性たちは喜んでロイを接待しているようにも見える。
 惨めなのと手持ち無沙汰なこともあって、ジャケット――一張羅の用意がないと言ったら急遽上官から買い与えられたおろしたてのもの――の内ポケットからタバコを一本取り出す。火をつけようと考えた頃合いで、
「あら、火は用意がありますよ」
 隣に控えていた、少し落ち着いた雰囲気の女性から話しかけられる。彼女はそのまま、慣れた手つきでマッチを擦って差し出した。
「どうぞ」
「ど、ども」
 慌ててタバコを咥え、火を貰った。何だか、居心地が悪い。
「こういうところで飲むのは初めて?」
 察したのか、女性は小さく微笑んで訊ねる。
「ええ、まあ。実家は田舎でね、遊ぶとこもなかったもんで」
「初々しくて良いわねえ」
「そりゃ、どうも」
 何となく子供扱いを受けているような気がする。だが、悪い気分でもない。何の気無しに上官の方を見ると、思い切り鼻の下を伸ばしていた。あそこまでではないが。
「マスタング中佐の部下の方?」
 ハボックの視線を追って、女性が訊ねる。
「ええ。っつっても、ほんと最近配属されたばっかりなんですけどね」
「じゃあ、たくさんおねだりして可愛がってもらわないと。もう一杯、飲まれます?」
 女性が指差した先には、空になったグラスがあった。どうも、居心地の悪さにかまけて空けてしまっていたらしい。
「いただきます」
「はあーい」
 彼女は、いそいそとウイスキーのボトルを開ける。どうも、軍人の扱いに手慣れているような気がした。上官は階級が高いほど給金も高額であり、それは殆ど部下の世話に使っている、と聞いたことがある。金をかけた分、可愛がっているという評価になるらしい。そういった事情も、彼女は熟知しているようだった。
「少尉」
 彼女の所作を見ながらぼんやり考えていると、背後から声がした。慌てて振り返り、敬礼を取る。
「うわあっ!? はい! すみません、中佐!!」
「何だ。まだ何も言ってないだろうが」
「いや、怒られるかと思って……」
「慄然としすぎだ」
 呆れながらではあるが、ロイは少し楽しそうに笑う。
「私も鬼じゃない。何でもかんでも怒鳴りつけるようなことはしないよ」
「ほ、本当ですか?」
「疑うなあ……」
 彼は傷ついたように眉を寄せるが、どうもハボックの知る上官というのは鬼と形容して間違いないのが常だった。マスタング中佐にしても同様であり、常時|顰《しか》めっ面で、檄を飛ばし、|一度《ひとたび》戦闘になれば鬼も逃げ出すほどの苛烈な焔を放つ。件の囮捜査の時もそうだった。犯人は消し炭一歩手前まで焼かれていて、それもそうなるように調整したと言い放ったのだから、彼の戦闘履歴は考えたくないほどに凄まじいというくらいは分かる。
「可愛い部下に羽を伸ばしてもらいたいと労っているのだから、おまえは素直に受け取ればいい」
 一転してハボックの頭を軽く叩いた上官は、愛犬でも見つめるような目をしていた。どう受け取ればいいのか、正直分からない。困惑していると、彼はソファの背にもたれ、ハボックに顔を寄せてきた。
「というか、不自然だろうが。もっとはしゃいでおけ。何のためにおまえを連れてきたと思っている?」
 小声だが急な声色の変化に、ぎくりとする。
「何のためって」
 おうむ返しにすると、ロイはぱっと顔を離す。
「女は好きだろう?」
「そりゃ、そうっスけど!」
 図星ではあった。否定するべきか考える前に答えてしまう。やり取りを見ていたらしい、あの落ち着いた女性が、くすくすと笑っていた。
「あらあら。そんなにいじめたら可哀想よ、中佐さん」
「そうかな。ここは美しい女性にお任せした方が良さそうだ」
 何だか手慣れたやり取りだ。互いに知った仲なのか、牽制し合っているのかは分からない。考えあぐねていると、また耳元に小声で囁かれる。
「しっかりやれよ。本分を忘れるな」
「了解……」
 今度は落ち着いて返すと、また頭を軽く二度ほど叩かれた。完全に犬扱いだ。
「はい、どうぞ」
「どもっス」
 差し出されたグラスを受け取り、そのまま口をつける。先ほどより、若干アルコール臭が薄い気がした。ロイの様子を伺うと、再び女性たちの中央に陣取って和気藹々と何ごとか雑談していた。本分を忘れているのは、どちらだろうか。グラスをテーブルの上へ置き、今度はタバコの方に口をつける。ふと、視線を感じた。
「何か?」
 目が合った女性は、少し慌てたように首を横に振る。
「ええ、いえ……おタバコ吸われるのよね」
「あー……まあ、どうもやめらんなくて」
「ああ、別にそういうんじゃないのよ。ただね」
 珍しく言いにくそうにしている彼女は、そこで一旦言葉を切る。
「最近、あまり良くないタバコが流行っているらしくて」
 良くないタバコというのが何を指すものかは、薄ぼんやりとだが分かった。昼間にキャロルが説明してくれた言葉が途端に蘇る。
「そうなんだ?」
 ごく自然に努めて訊ねると、彼女は「ええ」と頷き、
「若い男の子の間でね。この間も、何人か病院送りになったくらいの強いものらしいから」
 声を落として続けた。どうもきな臭い。
「あなたも気をつけてね」
「了解です」
 能天気な振りを押し通して、軽く答える。これは収穫だ。手応えに、俄かに緊張が走った。



 一時間後、店を出てしばらく酔い覚ましの散歩を装って移動する。繁華街から少し離れた路地裏で、上官が足を止めた。何とは言われなかったものの、察して先ほど仕入れた情報を説明する。
「ふうん、若い男の間で、か」
 狭い路地裏で向かい合うが、視線は互いにやらずに応酬する。警戒を怠らないためだ。
「ええ。まあ、俺に合わせてくれたのかもしれないですけどね」
「こっちには、そういった話は出なかったな」
「中佐も若い男、なんですけどねえ」
 苦笑すると、つま先で小突かれる。
「暗に年寄り扱いしなかったか?」
 明らかに不機嫌そうな声色に、何となく表情を窺い知れた。こういう冗談に不服そうなところは、子供っぽい。
「いえいえ。っていうか、中佐って何期ですか?」
「おまえたちより六期上だ」
 頭の中で自分の年齢に六を足す。
「んん? ってことは、ストレートでまだ二十四くらいじゃないですか?」
「その通り」
 ふうん、と頷きかけて違和感に気づいた。普通、中佐の階級は二十代前半では殆どない。なくはないが、現場に出たり、東部に左遷されるような立場にはないはずだ。さらにもう一人、そういうような扱いを受けている佐官を知っている。
「|中央《セントラル》のヒューズ少佐も同期って言ってましたよね? なんでそんな階級上なんですか、あんたら!?」
 慌てて喚きながらロイの方を向いてしまった。
「やかましい男だな……」
 辟易とした様子の上官と目が合う。彼は暫し言い淀んだが、徐に口を開いた。
「ヒューズも私も、イシュヴァールの土産だよ」
 それだけ呟くと、また目を逸らす。倣って、ハボックも通りの方へ目を向けた。
「戦場で上がどんどん死んでいく。死にはしなくても、戦線離脱する上官もわんさといた」
 彼がイシュヴァール戦でどういった立場にあったのか、具には知らないが想像はできる。あれに投入された国家錬金術師は大体がそうだと聞くし、彼の異名から考えれば戦績だって明らかだ。凄惨な現場で人間兵器として活躍する若い将校の姿を想像しただけで、怖気が走る。
「自分でも、見合わん地位だとは思ってるよ」
 ハボックの心境を察してか、ロイは事もなげにそう結んだ。完全に失敗だ。こんな話を聞き出そうと思ったわけじゃない。
「んなことねえっスけど」
 つい出た言葉は、本心だった。自分の上官は彼以外に考えられないし、彼以外の上官についていたとしたら喧嘩くらいしていたかもしれない。同じような熱量で職務に当たる軍人というのは、軍に入る前に考えていたよりも少なかった。
「だからこそ、これは止めなければならない」
 路地裏に靴音が響く。ロイは、ハボックの前で足を止めた。
「天使の歌声は、後に遺すべきものではないんだ」
 そう言い切った上官の背中は、頼もしいというよりも悲愴だ。気のせいかもしれないが、そう見えた。
「少し時間を食った。次、行くぞ。ハボック少尉」
 ややあって振り返ったロイは、すっかりいつもの調子だ。次の店もちゃっかり選定しているらしく、迷いなく歩き始める。
「へーい」
 図らずも知ってしまった上官の内面に、ハボックは割り切れないまま返事をした。この人が内心を曝け出す日は来るのだろうか。恐らく難しい話だろうが、できればそういう日が来てほしいものだ、と少しだけ願った。


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