其の錬金術師は夜に歌う(八)

 翌日の早朝、誰の指示があったわけでもないが全員が倉庫――部屋に集まっていた。誰からともなく、各々手に入れた情報を共有し始める。大体がキャロルたちの手に入れた情報とも共通していた。一通り報告を聞き終えたロイは、神妙な顔をしてしばらく黙り込んでしまう。
「なるほど、共通しているのは、タバコか」
 ややあって一言発したそれに、ブレダが頷いた。
「ええ。どうも喫煙者に限って声をかけてるみたいですね。俺たちじゃ、そういう情報すら回ってこなかった」
 彼はファルマン、フュリーの二人と共に回っていた。その誰もがタバコを常飲していない。
「そうか。それで中佐に話がなかったんですね」
 昨夜の出来事を思い起こしたのか、ハボックが納得したように声を上げる。確か、彼らはバーで飲んでいたところ、従業員の女性に情報を提供されたということだった。それも、ハボックがタバコを吸い始めてからだという。
キャロも吸い出してから声をかけられたわね」
 同じように考えたらしいリザの呟きに、確かに、と頷きかけて止まる。背後から、何だか責め立てるような視線を感じたからだ。
キャロル先生」
「結果オーライってことで!」
 慌てて振り返って手を振ると、ロイは呆れたようにため息をついた。
「今回だけだからな」
 何だかんだでお許しが出たということだろうか。あまり深く追求すると藪を突くことになりかねない。キャロルは大人しく口を噤んだ。
「で、どうします? 喫煙者組で囮やってもらいますか?」
 ブレダがハボックを指でさし示して、上官に訊ねる。が、ロイがそれに答える前に、リザが「ああ」と口を挟んだ。
「だったらキャロは外した方がいいわね」
「どうしてです?」
 少し答えにくそうにしているリザに代わって、キャロルが答える。
「女も狙ってるみたいなんだよねえ。どうも」
「ああ、そういうことか……ろくなこと考えやがらねえな」
 舌打ちも含めて吐き出すように言うと、ブレダは居心地悪そうに頭を掻いた。違法薬物を売りつける対象が若い男性ということと、女性を狙う男が違法薬物らしきものを所持していたことを考えると、すでに被害者が出ているような案件であることは容易に想像できる。この場にいる全員が、その可能性に眉を顰めていた。囮で釣るというのが一番手っ取り早いが、同時に危険性もかなり高いものになる。リザをこんなくだらない危機に晒したくはない。
「失礼します」
 全員が押し黙っている中、不意にドアをノックする音が響いた。ロイが頷くのを確認してから、フュリーが「どうぞ」と声をかける。恐る恐るといったように開いたドアから現れたのは、白衣を着た青年だった。確か、バー・ティートゥリーで倒れていた青年を運び込んだ際に検査を頼んでいた人物だった。
キャロル先生は……」
 おずおずと声を出す青年に、キャロルは手を挙げて声をかける。
「あー、あたしですけど」
「あっ、すみません……僕、鑑定室の薬品検査技師で、グレン・ペンバートンと申します」
 深々と頭を下げた気弱そうな青年技師は、さっさとキャロルの方へ歩み寄ってから書類を差し出す。
キャロルゴドウィン先生が依頼された薬物の鑑定結果が出ましたので、お持ちしました」
「なんだ、言ってくれれば取りに行ったのに」
「いえ、このくらいは」
「ありがと」
 受け取って、すぐに書類に視線を落とす。口の中で項目名をぶつぶつと読み上げて確認していると、グレンは焦れた様子で口を開いた。
「では、失礼します」
「はーい、お疲れ様」
 彼への対応もそこそこに、キャロルは書類の項目を目で追っていた。天使の歌声の可能性を悟られないよう、検査項目をわざと多めに申請していたせいで、目当ての項目がなかなか見つからない。
「例のやつか?」
 ドアの閉まる音がしてから、ロイが訊ねてくる。彼の方は見ずに、項目をさらった。
「ええ。迅速に、って付けといたら真面目に守ってくれてたみたい」
「律儀な技師だな」
 呆れているのか感心しているのか読み取りづらい声で、ロイが呟く。
「なんですか、それ?」
 書類を覗き込んできたのは、ファルマンだ。彼は医療知識こそないものの、記憶力がずば抜けて高い。項目名と数値さえ教えておけば、彼にも天使の歌声の判別はつくだろう。
「ほら、バーで落っこちてた兄ちゃんの持ってたタバコ。吸い口に妙な粉末がかかってたのが気になって」
 書類から少しだけ顔を上げて、ファルマンの方を見た。
「分析してもらったんだ」
 トントン、と項目名の箇所を指て軽く叩く。ファルマンは察したのか、「ああ、なるほど」と呟いてから書類を真剣に見つめた。
「粉?」
「普通のタバコにはないもんだな」
 訊ねたブレダには、ハボックがすかさず答えていた。その通りで、普通のタバコに添加するものとしては粉末は適さない。どうしても風味や舌触りに影響するからだ。
「やっぱり」
 最後の項目を見つけ、キャロルはようやく顔を上げる。
「軍所管の天使の歌声と成分が一致してる」
 そう告げると同時に書類を取り上げられた。ロイは、書類をまじまじと見つめ、それからこちらに背を向けた。彼にしても医療知識は然程ない。が、考えたところはキャロルと似通っていたのだろう。手帳に何事か書き込み始めるのを確認してから、キャロルは他の面々に向き直った。
「天使の歌声っていうのはアンプル剤……つまり液体なんだ。それを皮下注射や静脈注射で体内に摂取して効果を発揮する」
 ハボックが少しだけ難しそうな顔をしたが、ペンを注射器に見立てて腕に突き刺す仕草をすると得心したのか、表情が晴れた。
「けど、これは粉末状」
 粉は注射器に入らない、と付け加えてから続ける。
「恐らく、フィルター内に仕込まれてるんだ。タバコってタバコ葉を燃やして発生する煙をフィルターで濾したものを吸ってるんだけど」
「濾過中に天使の歌声を添加しているわけだな」
 いつの間に作業を終えたのか、ロイが引き取ってくれた。軽く頷く。
「多少加熱されているから、効果も上がっているはず。加熱変性での効能変化量は、確か資料があったなあ」
「待った」
 キャロルを制止したのはロイだった。
「天使の歌声に関わる資料の持ち出しは将官クラス。閲覧にも制限がかかっているはずだ」
「えー」
 露骨に眉を寄せると、ロイはキャロルの頭の上に被せるようにして書類を突き返してきた。風圧で髪が少し乱れる。
「ってことは、この資料からは引っ張れないってこと?」
 書類を受け取ってから髪を撫で付けながら訊ねると、彼は難しそうな顔をして頭を抱えていた。割と様になっているのが、ボサボサ頭にされたキャロルとの対比もあって腹が立つ。
「やはり、ばら撒いている首謀者を見つけ出さないといけないか」
 |独《ひと》り|言《ご》つロイに応じるように、ブレダが呟く。
「どうにかして誘き出せないですかね……」
「誘き出す、か……」
「商売邪魔して怒らせる、とか?」
 ぽつりと出されたハボックの案に、全員が視線を送った。
「どうやって?」
 リザの問いに、彼は少し考えてから答える。
「天使の歌声より強い薬ばら撒く、とか……どうスかね」
「そんなもん、そうそうあるわけねえだろ」
「まあなあ」
 呆れたブレダの指摘に、ハボックは項垂れる。またどん詰まりだ。全員が首を捻る中、ファルマンが「あっ」と声をあげた。
「逆はどうですか? 例えば、解毒剤みたいなもの」
「あ」
 ファルマンの提案を遮るようなタイミングで、ロイが短く声を上げる。
「つっても、天使の歌声の効能を消す薬物なんて……」
「ある! あるぞ」
「え!?」
 自分の疑問を即座に切り返されたブレダは、驚いたのか呆然とロイを見つめてしまっていた。それに構わず、ロイはキャロルの頭を軽く二度ほど叩く。
キャロル先生」
「あれ、かあ」
「そうだ、あれだ」
 高揚するロイとは対照的に、キャロルは眉を寄せる。確かに、出番はあるかもしれないとは聞いていたが、それは望んでいなかった。再び乱れた髪を撫でて整えると、ロイに今度は頭を撫でられる。完全に犬猫のような扱いだ。


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