其の錬金術師は夜に歌う(九)

「天使の歌声の効能を打ち消すための薬」
 二つある瓶のうちの一つから机の上に乱雑にばら撒かれたのは、白色の錠剤だった。それを指してそう言い放ったのは、ロイだ。まるで自分が製作したかのような言い振りである。
「解毒剤って呼んでもいいかも」
 言ってから、少し後悔した。天使の歌声の本当の脅威は主作用の自白効果ではない。そして、この錠剤にはその脅威を打ち払うだけの力はなかった。
「本当にあるんですね、こんなもん」
 一粒拾い上げて観察しながら、ブレダは感心したように言った。
「ああ」
「とはいえ、効果は限局的。中毒症状には効かないよ。自白剤としての作用を打ち消すだけの薬だから、摂取してすぐに投与しないと効果ない」
 頷いたロイを打ち消すようにして付け加える。あまり期待を持たれても困るからだ。
「強力な薬効を打ち消すわけだから、この薬も強力。副作用は、強い悪心が主かな」
「へえ……」
 各々、様々に錠剤を確認しながら、嘆息していた。その中でファルマンだけが妙に訝っている。
「聞いたことないんですが、どこの誰が開発したんです?」
 彼が上官に向けて疑問をぶつけると、待っていたような態度でロイが答える。
「今、おまえたちの目の前にいるだろう」
「中佐が?」
「まさか。医療の心得はない」
「じゃあ」
 誰が、と言いかけたファルマンだが、自信満々といった様子のロイに気圧されたのか口を噤む。ロイに腕を掴まれたキャロルは、されるがまま彼に引き寄せられていた。
「先頃、緊急時に限って投与を許可された薬剤だ。開発者は、キャロルゴドウィン先生」
 医療錬金術師としては名誉と言っていいかもしれないが、キャロルの心中は穏やかではない。天使の歌声が錬金術によって生み出された薬剤であるが故に、それを中和するための薬もまた錬金術によって生み出されている。つまりは似たような薬だ。
「まあ、彼女の手柄は私の手柄だ。どちらを敬ってくれても構わんよ」
 やや強かに背中を叩かれながら、キャロルはロイを見上げる。大げさなくらいに盛り上げているのには、何か狙いがあるに違いなかった。
「すげーな、あんた! チビのくせに!」
 ハボックに腕を引かれ、めちゃくちゃに頭を撫でられる。
「本当に医療錬金術師なんだな、キャロル先生」
 失礼な物言いでブレダに感心されるが、あまり嬉しくはない。
「すごいじゃないですか。こういう薬も作れるんですね、先生」
 どういう意味なのか問い詰めたいような心情にされながら、ファルマンからの賛辞を耳にする。
「さすがです、先生!」
 結局、フュリーのような素直な物言いが一番心に響くようだった。複雑な心境にはさせられたが、それぞれに敬ってくれている様子には悪い気はしない。
「おい」
 少し離されたところで、ロイが憤っていた。傍らのリザが、それに呆れて声をかける。
「当然ですよ。開発したのは、キャロなんですから」
「指示したのは私だぞ」
「そうですね」
 リザからにべなく突き返され、明らかに機嫌を損ねた様子でロイがこちらを睨みつけている。目が合うと、あからさまに顔を背けられた。
「あ、中佐がいじけた」
「ったくもー……」
 部下から、いじけた、と評される上官というのはいかがなものか。遠慮なくそう表現するハボックも大したものだが。仕方なく、キャロルは机の上にある錠剤を一錠拾ってからロイの方へ近寄った。
「中佐。これ使ってどうするわけ?」
 ちらりとこちらを見たロイだが、またすぐに顔を背ける。
「そんなもの、自分で考えてくれ。天才錬金術師殿」
「だるっ!」
 あまりの態度に思わず考えたまま声に出してしまう。やってしまった、とリザのほうを見ると、彼女は面倒そうに首を横に振った。こういう時の扱いが面倒なのは、相変わらずだ。ため息でもつきたいところを我慢して、ロイの軍服の袖を引っ張る。
「じゃあ、その天才錬金術師とやらを使うのは、誰ができんのさ?」
 訊ねると、暫し思案していたロイは、観念して口を開いた。
「私以外にはないな」
「その通り」
 ようやくこちらを向いた彼に笑顔で答える。
「ほらほら、作戦会議!」
「仕方ないな」
 ロイの腕を引いて机の方へ向かうと、その後ろからリザもついてくる。キャロルを追い越す際に小さく「助かったわ」と呟いてくれた。なかなか苦心しているようだ。

「こっちが解毒剤、こっちが偽薬だ」
 ロイは蓋の空いた瓶と閉じられている瓶を順番に指差した。机の上にばら撒かれている方が解毒剤だ。偽薬と呼ばれた方を指差しながら、フュリーが訊ねる。
「偽物も混ぜるんですか?」
「ああ。馬鹿正直に本物ばかりばら撒いても意味がない」
 丁寧に錠剤を瓶に戻しながら、ロイが続ける。
「目的は、首謀者を挑発することだからな」
「どういうこと?」
 キャロルが首を捻ると、ロイの代わりにブレダが答える。
「天使の歌声ってのはアンプル剤だって言ってたよな?」
「そうだよ」
「で、タバコに付着していたのは、粉末状の薬」
 アンプル剤と粉末剤では形状が違う。分かりきっている情報だ。
「つまり、どっかで加工した奴がいる。首謀者か、それに近い奴だな」
「それが何だっての?」
 訊ねると、ブレダは呆れたように眉を寄せた。
「あのなあ、キャロル先生。あんた、医療知識以外はからっきしだな」
「錬金術だって学んでるもん」
 むっとして返すと、やり取りを静観していたロイが苦笑した。
「薬学に通じている者からすれば、偽薬をばら撒く行為というのは許し難いだろう?」
「実際の効能以上のものを謳っているってのは、外道行為だ」
 ブレダの言葉に、ようやく得心がいく。つまり、彼らは粉末剤製作者が薬品製作に対して強い矜持を抱いている人物だと仮定している。敢えて憤慨させてやろうという魂胆だ。
「まあ、首謀者がそれ以上の外道だった場合には効果ねえだろうけど」
 確かに、薬品製作に矜持すらない場合は、効果は薄いだろう。
「それにしても、本物も混ぜてばら撒いてんだ。どっかで解毒効果があるって話を聞けば」
「釣れるってこと」
 二重、三重の効果を狙っているということか。あまりの周到っぷりに、思わず感心してしまった。
「そういうことだ」
 キャロルに頷いてみせたロイは、即座に上官の雰囲気に変える。一気に緊張が走った。
「各々別ルートで満遍なくばら撒け。あまり同じ場所に長居するなよ」
「了解」
 上官からの命令に、全員が敬礼で返した。


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