其の錬金術師は夜に歌う(十)

 イーストシティの中心部から少し外れたあたりに、雑居ビルがひしめく一角がある。こういった場所には往々にして後ろめたいものを抱えた連中が集まってくるものだ。犯罪行為を生業にしている連中や、医師資格もないくせに治療行為を提供する者、そういった者たちにしか縋れない連中、そして彼らに金銭を搾り取られている存在で成り立っている。こういう存在とは無関係を決め込む大多数の市民たちからは白い目で見られ、故に社会からあぶれている連中だ。彼らが生計を立てるための拠点として、人目の少ないこの一角はうってつけだった。
 雑居ビルの一室に集まっていたのは、若い男性たちだった。家具はボロボロになったまま打ち捨てられているものをそのまま使っているのか、机も椅子もソファも傷だらけだ。そこに平然と腰掛け、横たわったりと自由な体勢をとっているものの、彼らは全員が一人の男性に注意を向けていた。
「粗悪品?」
 大柄の男性は机の上に腰掛けていた。スキンヘッドに、眉には二つボディピアスをつけている。そのうちの一つを指で弾きながら、彼は眉根を寄せていた。
「って噂だよ」
 ソファに寝転んだままの体勢で、痩せた男が返す。彼の首元には、スキンヘッドと同じ図案の刺青があった。
「んな馬鹿な。こっちは正規ルートで仕入れた上物だぜ。ちゃんと専門家の先生がついてる」
「つってもなあ、実際吐いてる奴も結構見てきたし」
 ぼやくように言った痩せた男は、物音に敏感に反応する。飛び起きて、部屋に設えたドアの方を凝視した。ややあって開いたドアから、おずおずと青年が顔を出す。
「どうされました?」
 気弱そうな青年は、だが強面の男連中に怖気付いている様子ではない。どころか、スキンヘッドはにこやかに笑いかけて青年に向けて手招きまでしている。
「お、噂をすれば先生」
 先生、と呼ばれた青年は微かに顔を顰めてから、スキンヘッドの元へ歩いていく。
「どうも、粗悪品流してる連中がいるらしいんだよ。適当なこと言って、タダでばら撒いてんだと」
「粗悪品、ですか……」
 青年は俯いて呟く。彼が押し黙っている間だけ、この部屋にも静寂が訪れた。
「気になりますね。現物はありますか?」
 顔を上げて訊ねた青年に、スキンヘッドは首を横に振ってみせた。それから、机の上に散らばっていたタバコの箱とライターを手にし、慣れた手つきで火をつける。
「いいや。が、多分持ってこられると思うぜ」
 煙と共に吐き出すと、真正面の青年は顔を顰める。
「手に入れたら僕に渡してください。調べてみます」
「よろしく頼んますよ、先生」
 ゆるゆるとソファに寝転がると、痩せた男はひらひらと手を振った。
「ええ。じゃあ、これは今回の分」
 肩にかけていた鞄から、青年は小瓶を取り出す。白い色をした粉末状のものがぎっしりと詰められていた。それを二瓶ほど机の上に置くと、スキンヘッドは顔色を明るくした。
「お! さっすが、仕事早いねえ! うちの先生は」
 青年の方を見向きもせず、スキンヘッドは小瓶を取り上げて舐め回すようにして眺めていた。その様子を半ば呆れたような目で見ていた青年は、すぐに踵を返す。
「ああ、そうだ」
 二歩、三歩と歩いたところで、足を止めた。
「軍が動いているようです。どういう動きかは掴めていませんが」
 青年がスキンヘッドの方へ向き直る。が、彼と目が合うことはなかった。
「慎重に」
「あいあーい」
 小瓶に夢中なスキンヘッドの男は、適当な返事をしてから蓋を開けた。完全に中毒者の行動だ。優れた薬効というのは、大変な武器になるというのも頷ける。この効能のおかげで、あの戦場は混迷を極めたのだ。苦虫を噛み潰したような顔になった青年は、再びさっさと踵を返す。
「では」
 短い別れの言葉を残して去った青年の後を、痩せた男は上体だけ起こして見つめていた。
「あの先生って何者なんだ?」
「さあな。軍関係者ってのは確かだろ。何せ」
 小瓶の中の粉末を、今まで吸っていたタバコの吸い口に押し付けながらスキンヘッドの男が答える。
「天使の歌声ってのは、軍にしかないはずだからな」
 ふうん、と痩せた男は唸る。ここに至るまでも天使の歌声と思しき薬物が流行したことはあった。いずれも軍関係者が漏洩させたものであり、事件が解決した途端に薬物は市場に流れなくなる。今回も同じことだろう。いずれ、あの青年は軍によって捕縛されるはずだ。
「よくやるぜ。金目当てか?」
 薬物の見返りとして、売上の何割かを青年に渡していた。それにしてもアンプル剤である天使の歌声を粉末状に加工している手間を考えれば、微々たる報酬である。青年の目的は、今一つ判然としなかった。
「何だっていいさ。俺らは、楽しけりゃそれで」
「違いねえなあ」
 痩せた男は思考を放棄し、またソファに身体を沈ませる。元々、大した組織でもない。自然発生的に集まっただけの、所謂不良集団である。組織化したのは、あの先生がやってきてからだ。スキンヘッドの男にしても、痩せた男にしても、考えることが得意なわけでもない。
「あー、それにしてもこないだの美人ちゃん、二人まとめて落ちてこねえかなあ」
 悦に入った表情をして、スキンヘッドの男が独り言つ。薬効が回ってきたようだ。
「何それ?」
「金髪美女二人組。ちっこい方が結構チョロそうだった」
 ソファに沈んだままで姿の見えない男に向かって、スキンヘッドは楽しげに話す。
「いかついタバコ吸ってる女でさあ。俺、小さい女大好き。具合も良いし、抱き潰して遊べるだろ?」
 盛大に煙を吐き散らかしながら、彼は自分で自分の巨体を抱きしめた。彼の巨体に比べると、あの金髪の小さな女は幼い子供も同然だ。
「変態め」
 痩せた男は、ため息と共に吐き捨てる。
「あーあ、もーっと楽しいことねえかなあ」
 部屋の天井に溜まりつつある煙を見上げながら、スキンヘッドの男は力なく呟いた。既に目の焦点は合っていない。そろそろ、彼の頭の中では天使の歌声が響く頃だろう。


#鋼の錬金術師 #-其の錬金術師は夜に歌う
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