其の錬金術師は夜に歌う(十一)

 ロイの指示で解毒薬とその偽薬を散布してから、二週間が経とうとしていた。キャロルも様々な店やら、怪しい連中やらに配り歩いていたのだが、どうにもこれで正しいのかどうか判断できずにいた。というのも、連日病院に顔を出しているにも関わらず、特段変わった様子は見受けられないからだ。薬物中毒と思しき症状で来院する者が劇的に減っただとか、逆に増えただとか、そういった異変もない。
「|釣果《ちょうか》なし」
 マスタング中佐の机の上には、乱雑に書類が散っていた。その上をキャロルが両手で叩きつける。書類を読み耽っていたロイは、キャロルの顔を見てから大袈裟にため息をついた。
「まあ、そうすぐに出るものでもない」
 そのまま書類を放り捨て、彼は席を立つ。何の書類だったかは気になるが、足早に部屋を出て行こうとするロイを追いかけるほうが先だ。
「だけどさあ」
 ロイに追いついたのは、廊下に出てからだ。行く先はわからないが、話はまだ終わっていない。ロイの腕を引いて文句を口にすると、彼はキャロルを見下ろして辟易としたように眉を寄せていた。
「君は案外短絡だな。釣りには向かない性格だ」
「むー」
 返す言葉に困って頬を膨らませると、ロイが苦笑する。
「手ぐすね引いて待つというのも、必要なことだ。何せ、大物がかかるかもしれんのでね」
 軽く頭を叩かれ、なんだかうまくあしらわれたようになった。そう悠長にしているわけにもいかない。中毒患者が減っていれば、もう少し余裕はあったかもしれないが。
「おや、大物」
 ふと背後から声をかけられ、ロイとキャロルは同時に足を止める。
「話には聞いていたが、本当に東部へ来ていたとは」
 振り返ると、中年の男がこちらを睨みつけていた。顔に見覚えはないが、軍服を着ている以上はどこかに所属している軍人に違いはない。
「久しいな、マスタング中佐」
 言葉と表情が合っていない。苦々しい表情を作ったまま愛想の良い言葉を投げてくる男に、ロイは困惑した様子で返した。
「ああ、どうも……」
「相変わらず少年のような顔をして」
「生来でして」
 あからさまに不機嫌になるのが、キャロルにも分かった。実年齢より若く見えるというのは、確かにそうだったが。
「その顔でたらし込んだらしいな。|娶《めと》ったと聞いたぞ」
「え?」
 男の言葉に、慌ててロイを見上げる。同様にキャロルを見る彼と目が合った。
「ああ! ええ、彼女ですよ」
 何か得心がいったようで、ロイはキャロルの肩を叩きながら答える。娶った、という言葉と、キャロルとが結び付かず困惑する。何しろ、ロイと結婚したつもりもなければ、そうするように言われたこともない。不気味だ。
「ほう」
 すぐさま男がキャロルを睨む。舐め回すような視線に居心地が悪くなり、思わずロイの背後に隠れた。
「そうは見えんが」
 それでも覗き込んでくる男に耐えられず、ロイの軍服の袖を引いてこちらに注意を向ける。
「何? 何の話?」
「後で説明する」
 彼が顔を寄せてくれたので小声で訊ねる。手短に答えたロイは、すぐに姿勢を戻した。
「聞けば十代だそうじゃないか。まるでガキの|飯事《ままごと》だな」
 小馬鹿にしたように言い捨てる男に、さすがに苛立った。が、それより先に上官殿が口を開く。
「それはどうでしょうね。そう思われていると目を回すかもしれませんよ」
「言うだけなら誰でもできる。成果を上げてから同じ台詞を吐いてもらわんとな」
 鼻で笑った男は、ロイの階級章のあたりを拳で軽く叩く。そういえば、と見ると男の階級は准将だった。中年にかかった年頃には見えるが、それにしては階級が高い気もする。普段、ロイと一緒にいるせいで自信はなかったが。
「期待しているよ、マスタング中佐」
「はっ」
 到底期待しているようには見えない苦々しい表情に、ロイは恭しく敬礼で答えた。倣ってキャロルも敬礼で准将を見送る。
「で、誰?」
 敬礼を崩しながら、ロイに訊ねる。彼はさっさと礼を解いていて、階級章の辺りを手で払っていた。
「さあ」
「知らないで話し込んでたの!?」
「いや、見覚えがないわけじゃないんだが……大した知り合いでもなさそうだ」
 驚いたキャロルが滑稽に見えるくらい、ことも無げに答える。ここにリザがいれば|何某《なにがし》か分かるのかもしれないが、|生憎《あいにく》不在だ。とはいえ、ロイの様子からすれば大した問題ではないのかもしれない。
「ああ、ハクロ准将ですね」
 突然背後からかけられた声に、再び驚く。
「うわっ!? ファルマンさん、いたの!?」
「ええ」
 飛び上がりかけたキャロルに、ファルマンは「少し前からですけどね」と付け加えた。
「ハクロ……? どこで会ったのか」
 首を捻る上官に、ファルマンは平然と答える。
「さあ。以前は中央にいらしたそうなので、そこかもしれませんね」
「なるほどな。あの頃に会った将校など一々覚えていない」
「適当だなあ」
 キャロルが呆れると、ロイは小さくため息をついた。
「嫌味を言ってくるやつは、もっと覚えない」
「覚えてる将校の方が少ないんじゃない?」
「その通りだ」
 あまりに堂々と肯定され、思わず吹き出してしまった。同じタイミングで息を漏らしたファルマンが、慌てて咳払いをする。
「ああ、そうでした。中佐にお客さんですよ」
「何?」
 あまりにのんびりと切り出すもので一瞬呆気に取られてしまったが、すぐに上官から「それを早く言え」と嗜められる。


#鋼の錬金術師 #-其の錬金術師は夜に歌う
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