彼の錬金術師は朝を嘆く(三)

 昼食をとった後は、必ずここで吸うと決めている。|人気《ひとけ》の少ない日当たりの悪いテラスだ。東方司令部の造りはどうも複雑で——というより、どの司令部でもそうなのだろうが——日中でも日の当たることのないテラスが存在している。洗濯物を干すにも不向きで、眺めも悪い。見えるものといえば、裏手にある不用品の一時保管場所のような一角くらいだ。そのおかげで休憩に来る者もおらず、キャロルがこっそりとタバコを吸うのにはうってつけの場所になっていた。特段誰からも咎められはしないものの、直属上官がいい顔をしないということもあり、何となく隠れて吸うようになってしまった。早速慣れた手つきで一本取り出し、素早く火をつける。一口目のいがらっぽい感じが好きだった。
「美味いー」
 煙を吐きながら、独り言つ。口に出すと更に美味に感じるから、不思議だ。二口目、と吸いかけたところで、ドアの開く音がする。誰も使わないせいか、蝶番のところが錆びついているらしく、派手な音を立てていた。
「お、やってる、やってる。不良娘」
 声の方を向くと、見知った顔だ。同僚のハボック少尉は、人懐こい笑顔を向けてこちらに向かってくる。にしても、不良娘という呼び方は不本意だ。
「あんだよ、ヒューズさんみたいな言い方すんな!」
「|片鱗《へんりん》出ちゃってるぞー」
 中央で世話になった軍将校の笑顔を一瞬で思い出したキャロルは、わざとらしく舌打ちをした。気にも留めず、ハボックはちゃっかりキャロルの隣を陣取る。ある程度広さのあるテラスだが、何となく柵の方へもたれかかってしまうのが常だった。
「ここ、いいよな。割と見つかんないし」
 キャロルに合わせてか、ハボックはしゃがみ込んでから自分のタバコを取り出す。
「何? 仕事一段落ついたの?」
 訊ねると、彼は煙を吐いてから答える。
「まあ、そんなとこ。意外と大変なんだぜ。上官殿のお|守《も》りとかさあ」
 まるでそれらしくぼやいてているが、大体のところは聞いている。正直、普通に楽しんでいるとしか思えないような店に入り浸っているとか、いないとかいう話だ。ロイに言わせると情報収集らしいが、それが目的にしろ楽しんでいるという部分は否めないだろう。
「お守りって……別に、中佐に奢ってもらって飲んでんだけじゃん」
「神経使うの」
 即座に言い返すハボックに、ため息をついた。確かに上官同伴では手放しで楽しむわけにもいかないというのは、理解できる。
「そんでタバコ休憩? あんた、別にこそこそしなくても吸えばいいじゃん」
 言い終えてから、ゆっくりと煙を吐いた。
キャロル先生が寂しいかと思ってさ」
 取り繕うのが上手い男だ、と舌を巻いた。悪い気はしないのが、また悔しい。
「そりゃ、どーも。お優しいことで、ハボック少尉殿」
 目を逸らして返すと、ハボックは苦笑した。
「とはいえなあ……軍部内禁煙多すぎだろ」
 彼はやおら立ち上がり、柵に背を預けているキャロルとは反対に柵から身を乗り出す。
「まあね」
 重要書類のひしめく部屋でタバコを吸っていいとはならないだろう。まして、今の部屋は倉庫だ。ボヤでも起こせば始末書で業務が圧迫されるに違いない。
「せめてタバコ吸える部屋に変えてもらいたいね」
「そりゃ、中佐の働き次第でしょ」
 ぼやくハボックに、笑って答えた。
「お、噂をすればってやつ」
「ん?」
 彼の方を見ると、親指で下を指し示している。
「ほれ、中佐。何だろな、こんな裏手に」
 身をひねって柵から下を見ると、確かにロイの姿がある。しかも、一人ではない。派手な色合いの服を纏った女性と向かい合っているように見える。服の形はスーツのようではあるが、色合いがなんとなく不気味だ。あまり着慣れていないようにも見える。
「さあねえ」
 女性の出自を何となく察し、キャロルは再び柵に背を向けた。中央でも何となく話はあったし、そもそもあの年と見た目で、あの地位にある男だった。そういう店に出入りしているのもあって、女性との関わりが多いことくらいキャロルにも容易に想像がつく。それはいい。問題は、程度の話だ。真剣に交際するような相手ではない。そのくらいは分かっていて、遊び程度に転がしているつもりなのだろうか。
「うわ、すっげ」
 突然、素っ頓狂な声があがる。
「何? どした?」
 驚いて訊ねると、ハボックは下を見たまま呆然として答えた。
「いきなりキスした」
 肩透かしだ。すごい、なんて感想を漏らすような事でもない。
「んだよ……ガキじゃねーんだから、キスくらいでピーピー言うない」
 がっかりして呟くと、彼は意外そうにキャロルを見る。
「割と事件だけどな。上官のそういうとこ、あんま見ることねえっつーか」
 そこで一度言葉を切ったハボックは、煙を空へ向かって吐き出した。何となくキャロルも真似てみたが、彼の方が空に近い分、あっという間に煙が吸い込まれていく。
「マスタング中佐って、そういうとこ緩いよなあ」
 ハボックは濁して言ったが、つまりは女性関係にだらしがないということだ。
「そうなんだ? あたし、中佐以外あんまり知らないからなあ」
「まあ、あそこまでモテる人も珍しいけど」
 引っかかるような物言いに、キャロルはふとタバコを持つ手を止める。
「ふーん、そんなにモテるんだ。中佐って」
「何?」
「べっつに」
 つっけんどんに返したのは、完全に八つ当たりだ。うまく言語化できないところで、苛ついている。てっきりロイの方から女性を口説いて回っているのだと思っていたが、そうでもないらしい。それが、どうも面白くなかった。すっかり短くなったタバコを咥える。
「うわ、ヤベ! 先生、事件」
 早口に捲し立てるハボックの方を睨み、煙を吐いた。
「何さ? おっ始めたの?」
「その顔でオッサンくさい下ネタ言うな!」
 どの顔だよ、と呟きながら柵の隙間から下を見た。思わず、先ほどのハボックと同じような声が出る。
「ホークアイ少尉だ」
 すっかり抱き合う形になっていた二人に近づいていたのは、よく見知った女の姿だった。ここからでは表情は確認できないが、動きで何となく分かる。かなりご立腹の様子だった。
「わーお、修羅場」
 中佐、と怒鳴るような声が聞こえて、キャロルは歌うようにして呟く。どちらに呆れたのか、ハボックがため息をついた。
「なあ、キャロル先生ってゴシップ好きだろ?」
「ん。シャーデンフロイデってやつ」
「何それ?」
「他人の不幸は蜜の味」
 言ってハボックを見上げると、彼は眉を顰めていた。
「うわー、どうやって言い訳すんだろ?」
「ひっでえ性格してんのな……」
 リザに引っ張られるようにして去っていくロイを見ながら、リザに叱咤される上官の姿を思い浮かべた。ざまあ見ろ、と心の中で呟くと、今度こそしっかりハボックに呆れられてしまった。


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