彼の錬金術師は朝を嘆く(四)

 倉庫へと戻ると、思った通り——いや、それ以上の光景が待ち構えてくれていた。
「だから、悪かった! 軽率だったよ! 反省している!」
「反省している人の言葉とは思えません」
 想定していたよりも、リザの勢いが強い。あまりに強すぎて、上官殿は座らせてももらえず、立ったまま弁明に努めていた。あまり近づくのも|躊躇《ためら》われ、部屋に入ったままの状態で二人して突っ立っているしかなかった。
「わ、やってる、やってる」
 思わず呟くと、二人の様子を眺めていた面々のうち、ブレダがこちらを軽く向く。キャロルとハボックが立ち尽くしている姿を確認して、ああ、と頷いた。
「お、タバコ休憩か」
「まあな。何? 修羅場?」
 わざとらしく訊ねるハボックに、ブレダは眉を寄せる。
「らしいな。あんまり口出すなよ」
 どうも、飛び火を恐れているらしい。まあ、当然だろう。どちらの怒りを買っても損しかない。
「中佐の私生活にまでは口を出しませんが、軍部内ではお控えいただかないと」
 そこまで一気に言い切ったリザは、深くため息をついてから続ける。
「どこで誰が見ているか分からないのですよ」
 彼女の言い分は、尤もだ。キャロルでさえ、あれは迂闊だと感じたくらいだった。それというのも、キャロルやリザには、あの女がどういった類の人間であるかが把握できているせいかもしれないが。
「分かった。次回から気をつけよう」
 次回があるのか、と思ったが口にするのは我慢できた。これ以上長引いても面倒だ。だが、当のリザはあまり納得がいかなかったのか、早々に白旗を上げて自分の椅子へ向かおうとするロイの背中に向かって吐き捨てる。
「ただでさえ、こっちは案件を抱えてピリついているのですから」
「キスくらいで、しつこいな……」
 苛立ちにまかせて呟いたロイの言葉を聞き逃さなかったのは、キャロルだけではなかった。
「今、何と?」
 一際低い声でリザが訊ねる。あまりにも愚かな行為に、思わず小さく「馬鹿」と呟いて呆れてしまった。聞こえていたのか、ロイは足を止めて咳払いをする。
「いや、何でもない」
 言いかけたロイを遮り、まくしたてるようにしてリザが続ける。
「キスくらいで? その程度の認識でいらしたわけですね」
「何だ、悪いか? キスくらい、子供でもするだろうが」
「そういった類のものとは違うでしょう!?」
 彼女の上げた大声に、全員が身を固くする。
「常々思っていましたが、中佐は危機感が希薄すぎます。皆が皆、あなたのように解釈しているわけではないのですよ!」
 すっかり黙り込んでしまった上官に、さすがにやりすぎたと感じたらしいリザは長いため息をついてから口を開いた。
「それは、弱みになりえますから」
 最後に呟いたそれは、おそらく妥当な懸念材料であり、誰もが同じように感じていたであろうことだ。先程ハボックが言った通りだとすると、女性問題で揉める将校というのもそう多いものではないらしい。結局、ここから崩されてしまっては仕方がないということだ。分かっているのか定かではないが、ロイは罰の悪そうに頭を掻いて、
「うだうだと並べたが、結局は」
 一度軽くため息を吐いた。
「嫉妬だろう?」
 ロイは火に油を注ぐような台詞を、リザの方へ敢えて向き直って呟くようにして言う。恐る恐るリザの方を見ると後悔する羽目になる。キャロルでも数度しか見たことのない形相をしていた。
「中佐!!」
 耳をつんざく怒声に、キャロルは思わず萎縮した。いや、キャロルに向けて怒っているわけではないのだが。
「なんだ、図星か」
 怒られている当人は、平然としてまた軽口を叩く。どうやら、慣れているらしい。それはリザの方も同様で、何度か口を開きかけたものの結局はこらえていた。しばらく押し黙っていた彼女は、やがて機敏な動きで踵を返す。
「頭を冷やしてきます」
 鋭くそれだけ言い放ち、足早に部屋を出て行ってしまった。無言の上に息も殺していたキャロルは、リザを見送ってから一気に吐き出す。
「怖っえぇ……」
「超怖かった!」
 泣きそうな声を漏らすハボックに被せるようにして、キャロルはロイへ向けて抗議の意を含めて言い放つ。
「このくらいで弱音を吐くな! ホークアイ少尉が怒ったら、こんなものじゃないぞ!」
「胸張んな!!」
 あまりの言い分に反射的に怒鳴ってしまう。言うからには、彼はリザに怒られたことがあるらしい。
「ていうか、怒らせないでくださいよ! 冷や冷やする、こっちの身にもなってもらわないと!」
 続けて上官に抗議したのは、ファルマンだった。彼を見ると、顔色が悪い。相当肝を冷やしたようだ。とはいえ、肝を冷やしたのは彼に限った話ではなかったらしい。完全に消沈しきった面々は、一様に青ざめた顔をしている。
「つーか、そもそも軍部内で熱烈ちゅーとかヤバすぎでしょ」
 慌てて軽い口調で指摘する。
「職場だよ? 職場!」
 ロイに向けて指を差すと、彼はついと顔を背けた。
「君から言われるとは思わなかった。普段、|其処彼処《そこかしこ》でタバコ休憩しているくせに」
「タバコと女は違うっしょ!」
「そうですよ!」
 キャロルの言葉に同意したハボックだが、すぐに「あっ」と声をあげる。瞬間、ロイは完全に上官の表情に戻っていた。
「おまえたち」
 上官の意図に気付いたキャロルは、先ほどロイのしたように顔を背けた。
「見ていただろう」
 さすがに盗み見ていたというのは、罰が悪い。それだけならまだしも、彼の素行についてあれこれ言い募っていたものだから、追窮の目を向けられると弱かった。
「た、たまたまですよ、たまたま」
「そ、そうそう。見たっていうか、見えちゃったっていうか」
 適当に濁すように言うと、ロイは盛大にため息をついた。
「まったく……」
 それきり口を噤んだロイは、すごすごと自分の定位置へ戻っていく。慣れてはいるようだったが、さすがにリザの叱責が効いたのだろうか。上官が着席すると同時に、部下たちは弾かれるようにして各々何事か仕事を見つけて部屋を飛び出していく。残されたのは、彼付きであるキャロルだけだった。どうも、こういうところは要領が悪いらしい。


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