夜も更けると、|然《さ》しものユ・リベルテと言えど、そこそこ冷え込んではくる。それを薄着のドレスでうろついているのだから、お嬢様というのはつくづく損な役割だ。なにしろ、傍らの少年執事はそこそこの厚着だった。正装は薄手の生地を使ってはいるものの、肩を露出させているわけではない。何と言う事だろうか、とお嬢様は執事の服装を妬むのだ。
果たしてお嬢様と執事、という取り合わせの二人が辿り着いたのは、いかにもと言わんばかりの屋敷だった。正面の門をくぐり、だが敢えて正面の扉を無視して裏手まで回り込むと、不自然にぽっかりと地下へ続く階段が現れたのだ。もちろん、不自然に見張りまでしている屈強な男を両脇に携えている。
「うわ、地下じゃない」
お嬢様の方が|辟易《へきえき》と呟く。執事は咳払いをしてから、男に何事か小声で囁いた。二つほど頷いた屈強な男は、やがて|恭《うやうや》しく頭を下げる。辟易としていた彼女は、ふうと大袈裟にため息をついてから階段を降りて行く。その後を、執事の方も追いかける。かん、こん、と一々響く音が耳障りだった。狭い階段室に頑丈な素材を使っているせいか、よく響く。
「随分厳重ですね」
小声で執事が呟いた。
「まあ、そうじゃないと張り合いがないわね。せっかくここまで気合い入れて来ているんだから」
「君は気合いの入れどころを間違っている気がしますが」
「あら? 似合わないとでも言いたいの?」
「少なくとも、いつもの格好の方が似合っているとは思います」
|僅《わず》かに緩んだ執事の頬は、すぐに引き締められる。お嬢様が楽しげなものでも見つけたようににやけているのが、彼の眼鏡に映ったからだ。こん、と最後の音がして、ようやく最下部に辿り着いた。先に降りてしまっていたお嬢様の方は、執事の渋った顔を見てにこりと笑った。
「さて、じゃあ行くわよ、ヒューバート」
「ええ。お供しますよ、お嬢様」
はあ、とため息をついたのは執事の方だった。彼が眼鏡の位置を直した僅かな音すら、やけに響く。
道なりに行くと、すぐに誂え向きのいかつい扉が現れる。お嬢様の方が取っ手を握り、引く。しかしそれはすぐには開かず、中途半端なところで止まってしまった。中途半端な空間から現れたのは、髭をたくわえた初老の男だった。申し訳なさそうに眉を垂らした面長の顔が、ひょろりと扉の隙間から覗く。
「お嬢様、どちらのご令嬢ですかな?」
意外な早口に面食らったお嬢様は、だが持ち直して毅然と言い放つ。
「私? キャスパーってご存知かしら?」
「ええ」
「グレースよ。通してくださる?」
男の眉がさらに垂れる。そもそも、垂れた眉の持ち主だったらしい。彼は、二度三度と「グレース」という名を口の中でもごもごとさせ、やがて納得いったのか身体全体を使って扉を押し開いてくれた。
「どうぞ、ご存分に堪能くださいませ」
全貌を露にした男は、面長の印象通りに細長い男だった。彼はお嬢様の傍らに据えてあった執事の少年を、訝しげに一瞥する。
「ありがとう」
男の疑念など意に介することはせず、お嬢様はにこりと笑って返した。それから扉の中を覗き込む。一歩、二歩、と進んでいき、ある程度まで進んでから執事の元へ引き返してくる。
「なるほど、中は存外広いわけね。ねえ、ヒューバート」
ヒューバート、と呼ばれた彼は表情を変えずに訊ね返す。
「ええ。何でしょうか、お嬢様」
「さっきのゲームだけど、宝石は一番右のグラスでしょ?」
「なるほど、お見事です」
眼鏡を押し上げたヒューバートは、僅かに不満げな色を表情に滲ませている。そのやり取りを見ていた初老の男は、ふう、と小さくため息をついた。
「でしょう? 本当はもう少し前に言おうと思ったのだけれど」
大袈裟な程ふんぞり返ったお嬢様に、ヒューバートが呆れた様子で肩を落とした。それから、彼女の方へ近寄ったヒューバートは、耳元で小さく囁く。
「くれぐれも、気をつけて」
「了解」
二人の声音が変わったことに、呆れ切っていた初老の男は気づいていないようだった。間抜けね、とお嬢様は密かに呆れる。
扉をくぐると、薄暗い通路がまた続く。それからしばらくして青年二人が頭を下げているのを目印に、開けた場所に出るのだ。そこには明かりが煌煌としていて、足元には真っ赤な絨毯が、その上には石ころを並べたショーケースがずらりと続く。まるで宝石店のようにきらびやかで悪趣味だ。辟易としているところへ、また悪趣味な男が腰を落として近づいてくる。派手な柄のスーツに、頭が痛くなる。
「これは、お嬢様。随分とお早いお着きで。本日はいかがしましょう?」
妙に甲高い声に、お嬢様としてはうんざりする他ない。
「そうね……何があるのかしら?」
「そうでございますね、本日は特別に上等な品がございまして」
「へえ」
素っ気なく返すと、彼はある一つのショーケースの方へ向かって歩き出した。そこへ辿り着くと、すぐに手招きをする。
「こちらです。軍用品と、見て分かる者も少ないでしょうが、一般流通品とはやはり訳が違います。特別に原素の濃度が高いものを選りすぐっているようでして……まあ、軍用品でありますから、それは当然とも言えますが」
軍用品、と心の中で繰り返す。
「随分大きいのね。L5ってあたりかしら」
わざと、言葉を選んだ。煇石の|原素《エレス》|含有量《がんゆうりょう》に由来する規格ランクだ。
「そうでございますね」
男は、言葉を濁す。これは好機だ、とばかりに畳み掛ける。
「この規格で、どのくらいの在庫があるの?」
「そうでございますね、あと八十ほどは即日お渡しできると思います」
「八十か……それだけ?」
「そこは、この規格でございますから。お時間をくだされば、もう少しご用意できますが、いかがしましょうか?」
そうね、と一旦言葉を切る。どう道筋をつけるべきか。思案する時間が勿体ないが、焦っていても良い結果は生まないだろう。
「ねえ、この程度の規格なら、よく注文が入るんじゃなくって?」
「そうですね、やはりこのサイズが一番手頃ですし、よく出ますね。既に百五十ほどは|捌《さば》けましたか」
俄に戦慄した。軍用品である煇石を、彼は百五十個もどこぞの誰かに売りつけたと言ったのだ。更にあと八十個ほどはすぐに渡せるという状況だ。言質は取れた。あとは、どう切り出すかだ。もうそろそろ、上手く事は運んでも良い頃合いだろう。あれだけ|綿密《めんみつ》に打ち合わせをしたのだから、万事滞りはないはずだ。
「お嬢様、商談中に申し訳ありません」
果たして、念願の声が届く。この部屋の入り口に立っていた青年の一人が、こそりとお嬢様に耳打ちをする。
「何かしら?」
「たった今、資金が入ったとのことですが」
「そう、じゃあもう充分だわ」
お嬢様は、彼に向かってにこりと微笑んでみせる。それを受けた青年は、彼女に向かって敬礼をしてみせた。貴族式ではなく、軍隊式の敬礼だ。
「なっ!?」
|俄《にわか》に顔色を変えた男は、お嬢様に掴み掛かろうと手を伸ばした。が、その手は逆に掴まれ後ろに回されて、身体は床に叩き付けられる。挙げ句の果てに後頭部には何やら冷たいものを押し当てられてしまった。
「個人間での煇石売買取引は違法よ。国からの許諾証を見せてちょうだい」
男の背中を膝で押さえつけ、さらに男の後頭部に押し当てたのは、煇石を動力源とする拳銃だった。
「何だ、おまえは!?」
床に叩き付けられた格好のまま、男はぎゃあぎゃあと喚く。やや辟易として、お嬢様は答えてやった。
「国軍少尉、メグ・ベレスフォードです。階級章ないけど」
途端、男は黙り込んだ。地下商売の自覚はあるのだろう。賢明な判断だが、もう時は既に遅い。バタバタと人の出入りする音がして、ようやく入口突破が叶ったことを知った。いくら屈強な男を置いていたとしても、現役軍人が物の数を言わせてしまえば何と言う事はなくなる。
「煇石倉庫は!?」
ざわついてきたところに、お嬢様——の格好をした現役軍人のメグが声をかける。ややあって、青年の声が響いた。
「押さえました、少尉! 在庫八十なんて嘘っぱちですよ! かなり抱えてます!!」
通路側からひょいと顔を出したのは、この部屋の入口に置かれていたものの、先ほどメグに耳打ちをしに来なかった方の青年だ。
「援軍は?」
いつの間に傍らまで寄って来ていた、耳打ちをしに来た方の青年に訊ねる。
「いつでもどうぞ」
服装は宝石商のそれらしいが、その調子はいつもの彼そのものだった。何となく気が緩んで「ありがとう、シーウェル軍曹」と呟いてしまった。慌てて意識を膝の下の男へ向ける。
「それで、許諾証はあるの? ないの?」
再び訊ねると、緩んでいた腕が振りほどかれ、拳が飛んでくる。難なく|躱《かわ》したものの、男への拘束は解いてしまった。
「くそっ!」
当てるつもりだったらしい拳が空ぶったことに彼は苛立ちの声を上げ、だがすぐに通路とは反対側の壁へ向かって走り出す。それから、壁の一部に向かって拳を叩き付けた。すると、脆くなっていたらしく、ぽっかりと穴が空いた。さっさとその穴へと消えていった男を、見送るしかなかった。
「まったく……逃げるだけ、手間が増えるだけなのに」
はあ、とため息をついたメグに追従して、シーウェルも同じようにしていた。
宝石は、一番右のグラスだ。ヒューバートは、壁を軽く叩きながらそう脳内で繰り返し呟いていた。地下通路への入口から向かって右側、地上部分の壁はもちろん外壁で頑丈だった。けれど、一カ所だけ不自然に音が響く場所がある。それを探り当てたのは、そこから大当たりが飛び出てくる五分程前のことだった。砂漠で針を探すよりは楽な作業だ、と言ってのけた彼女の顔を思い出し、苦虫でも噛み潰した思いになる。
「うわっ、また軍人か!?」
果たして現れた男は、開口一番そう驚いてくれた。
「地下で商売とは、助かりましたよ。地下から地上へ出る経路なんてそういくつもありませんからね」
非常通路くらい作っているはず、と考えたところまでは計画通りだった。
「国軍所属の軍人と分かっているところまでは褒めてあげましょうか」
だが、そこまで言うと男は怪訝な顔をした。
「おまえ、さっきの女の付き人か。あの女軍人に金で雇われた口か?」
なるほど、軍人であると言ったのはヒューバートを見たからではなく、彼の背後に控える軍服たちを見てそう思ったのだろう。やはり読みが甘い。密かに呆れた。
「この状況で、そう判断するところを見ると、やはりあなたは愚かな商売人であった、ということでしょうか」
眼鏡を押し上げる。かちゃり、と音がして引き締まる。右手を右側へ差し出した。
「丸腰で軍人相手に武力で対抗したこと、ぼくをただの傭兵だと思って侮ったこと」
右手に、剣の柄が当てられる。確と握ってから、左手を差し出す。
「それと、はったりの許諾証すら用意しておかなかったこと。あなたの失策ならいくらでもあげつらうことができますが、まだ続けましょうか?」
左手にも柄の感触があり、|確《しか》と握り締める。それから、一歩また一歩と男へ向かって歩み寄る。軍服ではないが、そんなことは言い訳にはならない。自分が何者であるかは、自分が一番良く知っている。
「お、おまえ……何なんだよ!?」
待ち構えていた質問には、堂々と剣先を男へ向けて答えた。
「国軍少佐、ヒューバート・オズウェルです」
喉元に突きつけた剣先に、すっかり怯え切った男の目が映える。
密かに、様になったな、と感じ入った。
#TOG #-第二話
果たしてお嬢様と執事、という取り合わせの二人が辿り着いたのは、いかにもと言わんばかりの屋敷だった。正面の門をくぐり、だが敢えて正面の扉を無視して裏手まで回り込むと、不自然にぽっかりと地下へ続く階段が現れたのだ。もちろん、不自然に見張りまでしている屈強な男を両脇に携えている。
「うわ、地下じゃない」
お嬢様の方が|辟易《へきえき》と呟く。執事は咳払いをしてから、男に何事か小声で囁いた。二つほど頷いた屈強な男は、やがて|恭《うやうや》しく頭を下げる。辟易としていた彼女は、ふうと大袈裟にため息をついてから階段を降りて行く。その後を、執事の方も追いかける。かん、こん、と一々響く音が耳障りだった。狭い階段室に頑丈な素材を使っているせいか、よく響く。
「随分厳重ですね」
小声で執事が呟いた。
「まあ、そうじゃないと張り合いがないわね。せっかくここまで気合い入れて来ているんだから」
「君は気合いの入れどころを間違っている気がしますが」
「あら? 似合わないとでも言いたいの?」
「少なくとも、いつもの格好の方が似合っているとは思います」
|僅《わず》かに緩んだ執事の頬は、すぐに引き締められる。お嬢様が楽しげなものでも見つけたようににやけているのが、彼の眼鏡に映ったからだ。こん、と最後の音がして、ようやく最下部に辿り着いた。先に降りてしまっていたお嬢様の方は、執事の渋った顔を見てにこりと笑った。
「さて、じゃあ行くわよ、ヒューバート」
「ええ。お供しますよ、お嬢様」
はあ、とため息をついたのは執事の方だった。彼が眼鏡の位置を直した僅かな音すら、やけに響く。
道なりに行くと、すぐに誂え向きのいかつい扉が現れる。お嬢様の方が取っ手を握り、引く。しかしそれはすぐには開かず、中途半端なところで止まってしまった。中途半端な空間から現れたのは、髭をたくわえた初老の男だった。申し訳なさそうに眉を垂らした面長の顔が、ひょろりと扉の隙間から覗く。
「お嬢様、どちらのご令嬢ですかな?」
意外な早口に面食らったお嬢様は、だが持ち直して毅然と言い放つ。
「私? キャスパーってご存知かしら?」
「ええ」
「グレースよ。通してくださる?」
男の眉がさらに垂れる。そもそも、垂れた眉の持ち主だったらしい。彼は、二度三度と「グレース」という名を口の中でもごもごとさせ、やがて納得いったのか身体全体を使って扉を押し開いてくれた。
「どうぞ、ご存分に堪能くださいませ」
全貌を露にした男は、面長の印象通りに細長い男だった。彼はお嬢様の傍らに据えてあった執事の少年を、訝しげに一瞥する。
「ありがとう」
男の疑念など意に介することはせず、お嬢様はにこりと笑って返した。それから扉の中を覗き込む。一歩、二歩、と進んでいき、ある程度まで進んでから執事の元へ引き返してくる。
「なるほど、中は存外広いわけね。ねえ、ヒューバート」
ヒューバート、と呼ばれた彼は表情を変えずに訊ね返す。
「ええ。何でしょうか、お嬢様」
「さっきのゲームだけど、宝石は一番右のグラスでしょ?」
「なるほど、お見事です」
眼鏡を押し上げたヒューバートは、僅かに不満げな色を表情に滲ませている。そのやり取りを見ていた初老の男は、ふう、と小さくため息をついた。
「でしょう? 本当はもう少し前に言おうと思ったのだけれど」
大袈裟な程ふんぞり返ったお嬢様に、ヒューバートが呆れた様子で肩を落とした。それから、彼女の方へ近寄ったヒューバートは、耳元で小さく囁く。
「くれぐれも、気をつけて」
「了解」
二人の声音が変わったことに、呆れ切っていた初老の男は気づいていないようだった。間抜けね、とお嬢様は密かに呆れる。
扉をくぐると、薄暗い通路がまた続く。それからしばらくして青年二人が頭を下げているのを目印に、開けた場所に出るのだ。そこには明かりが煌煌としていて、足元には真っ赤な絨毯が、その上には石ころを並べたショーケースがずらりと続く。まるで宝石店のようにきらびやかで悪趣味だ。辟易としているところへ、また悪趣味な男が腰を落として近づいてくる。派手な柄のスーツに、頭が痛くなる。
「これは、お嬢様。随分とお早いお着きで。本日はいかがしましょう?」
妙に甲高い声に、お嬢様としてはうんざりする他ない。
「そうね……何があるのかしら?」
「そうでございますね、本日は特別に上等な品がございまして」
「へえ」
素っ気なく返すと、彼はある一つのショーケースの方へ向かって歩き出した。そこへ辿り着くと、すぐに手招きをする。
「こちらです。軍用品と、見て分かる者も少ないでしょうが、一般流通品とはやはり訳が違います。特別に原素の濃度が高いものを選りすぐっているようでして……まあ、軍用品でありますから、それは当然とも言えますが」
軍用品、と心の中で繰り返す。
「随分大きいのね。L5ってあたりかしら」
わざと、言葉を選んだ。煇石の|原素《エレス》|含有量《がんゆうりょう》に由来する規格ランクだ。
「そうでございますね」
男は、言葉を濁す。これは好機だ、とばかりに畳み掛ける。
「この規格で、どのくらいの在庫があるの?」
「そうでございますね、あと八十ほどは即日お渡しできると思います」
「八十か……それだけ?」
「そこは、この規格でございますから。お時間をくだされば、もう少しご用意できますが、いかがしましょうか?」
そうね、と一旦言葉を切る。どう道筋をつけるべきか。思案する時間が勿体ないが、焦っていても良い結果は生まないだろう。
「ねえ、この程度の規格なら、よく注文が入るんじゃなくって?」
「そうですね、やはりこのサイズが一番手頃ですし、よく出ますね。既に百五十ほどは|捌《さば》けましたか」
俄に戦慄した。軍用品である煇石を、彼は百五十個もどこぞの誰かに売りつけたと言ったのだ。更にあと八十個ほどはすぐに渡せるという状況だ。言質は取れた。あとは、どう切り出すかだ。もうそろそろ、上手く事は運んでも良い頃合いだろう。あれだけ|綿密《めんみつ》に打ち合わせをしたのだから、万事滞りはないはずだ。
「お嬢様、商談中に申し訳ありません」
果たして、念願の声が届く。この部屋の入り口に立っていた青年の一人が、こそりとお嬢様に耳打ちをする。
「何かしら?」
「たった今、資金が入ったとのことですが」
「そう、じゃあもう充分だわ」
お嬢様は、彼に向かってにこりと微笑んでみせる。それを受けた青年は、彼女に向かって敬礼をしてみせた。貴族式ではなく、軍隊式の敬礼だ。
「なっ!?」
|俄《にわか》に顔色を変えた男は、お嬢様に掴み掛かろうと手を伸ばした。が、その手は逆に掴まれ後ろに回されて、身体は床に叩き付けられる。挙げ句の果てに後頭部には何やら冷たいものを押し当てられてしまった。
「個人間での煇石売買取引は違法よ。国からの許諾証を見せてちょうだい」
男の背中を膝で押さえつけ、さらに男の後頭部に押し当てたのは、煇石を動力源とする拳銃だった。
「何だ、おまえは!?」
床に叩き付けられた格好のまま、男はぎゃあぎゃあと喚く。やや辟易として、お嬢様は答えてやった。
「国軍少尉、メグ・ベレスフォードです。階級章ないけど」
途端、男は黙り込んだ。地下商売の自覚はあるのだろう。賢明な判断だが、もう時は既に遅い。バタバタと人の出入りする音がして、ようやく入口突破が叶ったことを知った。いくら屈強な男を置いていたとしても、現役軍人が物の数を言わせてしまえば何と言う事はなくなる。
「煇石倉庫は!?」
ざわついてきたところに、お嬢様——の格好をした現役軍人のメグが声をかける。ややあって、青年の声が響いた。
「押さえました、少尉! 在庫八十なんて嘘っぱちですよ! かなり抱えてます!!」
通路側からひょいと顔を出したのは、この部屋の入口に置かれていたものの、先ほどメグに耳打ちをしに来なかった方の青年だ。
「援軍は?」
いつの間に傍らまで寄って来ていた、耳打ちをしに来た方の青年に訊ねる。
「いつでもどうぞ」
服装は宝石商のそれらしいが、その調子はいつもの彼そのものだった。何となく気が緩んで「ありがとう、シーウェル軍曹」と呟いてしまった。慌てて意識を膝の下の男へ向ける。
「それで、許諾証はあるの? ないの?」
再び訊ねると、緩んでいた腕が振りほどかれ、拳が飛んでくる。難なく|躱《かわ》したものの、男への拘束は解いてしまった。
「くそっ!」
当てるつもりだったらしい拳が空ぶったことに彼は苛立ちの声を上げ、だがすぐに通路とは反対側の壁へ向かって走り出す。それから、壁の一部に向かって拳を叩き付けた。すると、脆くなっていたらしく、ぽっかりと穴が空いた。さっさとその穴へと消えていった男を、見送るしかなかった。
「まったく……逃げるだけ、手間が増えるだけなのに」
はあ、とため息をついたメグに追従して、シーウェルも同じようにしていた。
宝石は、一番右のグラスだ。ヒューバートは、壁を軽く叩きながらそう脳内で繰り返し呟いていた。地下通路への入口から向かって右側、地上部分の壁はもちろん外壁で頑丈だった。けれど、一カ所だけ不自然に音が響く場所がある。それを探り当てたのは、そこから大当たりが飛び出てくる五分程前のことだった。砂漠で針を探すよりは楽な作業だ、と言ってのけた彼女の顔を思い出し、苦虫でも噛み潰した思いになる。
「うわっ、また軍人か!?」
果たして現れた男は、開口一番そう驚いてくれた。
「地下で商売とは、助かりましたよ。地下から地上へ出る経路なんてそういくつもありませんからね」
非常通路くらい作っているはず、と考えたところまでは計画通りだった。
「国軍所属の軍人と分かっているところまでは褒めてあげましょうか」
だが、そこまで言うと男は怪訝な顔をした。
「おまえ、さっきの女の付き人か。あの女軍人に金で雇われた口か?」
なるほど、軍人であると言ったのはヒューバートを見たからではなく、彼の背後に控える軍服たちを見てそう思ったのだろう。やはり読みが甘い。密かに呆れた。
「この状況で、そう判断するところを見ると、やはりあなたは愚かな商売人であった、ということでしょうか」
眼鏡を押し上げる。かちゃり、と音がして引き締まる。右手を右側へ差し出した。
「丸腰で軍人相手に武力で対抗したこと、ぼくをただの傭兵だと思って侮ったこと」
右手に、剣の柄が当てられる。確と握ってから、左手を差し出す。
「それと、はったりの許諾証すら用意しておかなかったこと。あなたの失策ならいくらでもあげつらうことができますが、まだ続けましょうか?」
左手にも柄の感触があり、|確《しか》と握り締める。それから、一歩また一歩と男へ向かって歩み寄る。軍服ではないが、そんなことは言い訳にはならない。自分が何者であるかは、自分が一番良く知っている。
「お、おまえ……何なんだよ!?」
待ち構えていた質問には、堂々と剣先を男へ向けて答えた。
「国軍少佐、ヒューバート・オズウェルです」
喉元に突きつけた剣先に、すっかり怯え切った男の目が映える。
密かに、様になったな、と感じ入った。
#TOG #-第二話