電話をかけてから、ちょうど二十分後だ。一台の車が、ちょうど店の出入り口の真ん前で止まった。待ち構えていたキャロルが手を振ると、運転席の窓が降りて女性の顔が|顕《あらわ》になる。
「お待たせ、カメリア」
慣れたような言い振りに、キャロルは僅かに眉を寄せた。
「ごめんね、リザ。こんな時間に」
「いいのよ。ちょうど帰ってきたところだったから」
リザが少しだけ微笑む。その表情からは疲労が見てとれた。そういえば、マスタング中佐が溜め込んでいた書類の提出締日が今日だった気がする。
慌てて店内から男を引っ張り出し、抱え上げて車まで運ぶ。リザが要領よく後部座席のドアを開けていておいてくれたおかげで、スムーズに放り込むことができた。
「んー? 美女……」
薄ら目を開けた男が、リザとキャロルを交互に見てからつぶやいた。呆れた酔っ払いだ。
「ここは天国かあ! なるほどなあ、道理で」
高揚した様子で車から降りた男を、キャロルは蹴って押し込む。
「うっさいなあ! ほら、さっさと乗れっての!」
ぐえ、と短く|呻《うめ》いてから、男は座席に仰向けになって倒れ込んだ。
「天使の歌声が聞こえるはず……だあ……」
「は?」
不穏な言葉を残して、男は再び眠りこけてしまう。いびきのような寝息をたて、どこか気持ちよさそうだった。
「随分酔ってるみたいね」
その様子を見ていたリザが、呆れたように呟く。
「うーん……酔っ払いなだけならいいんだけど」
言って、キャロルは自分のバッグに手を置いた。どうも、嫌な予感がする。やり取りを遠巻きに見ていたママの視線のせいもあるだろうが。
「そんじゃ、持って帰るね」
そっと声をかけると、ママは小声で応じた。
「ありがとう。またよろしくね」
「えー……程々にね」
苦々しく笑うと、ドアが閉まる音がする。リザはすっかり運転席に収まっていた。本当に要領のいい女だ。慌ててキャロルも車に乗り込み、一息ついた。と思えば、さっさと発進してしまう。行き先も彼女には告げていないが、心得ているのだろう。道順は間違っていなかった。
「ねえ、中佐は?」
後部座席を気にしながら訊ねると、リザはこちらを見ずに答える。
「帰る頃にはまだ仕事してらしたわ。どうしたの?」
「もしかしたら、相談することになるかも」
「え?」
ちょうど、停車する。停止信号だった。
「こいつ、ただの酔っ払いじゃなさそう」
言ってリザの方を見ると、一言で悟ったのか彼女は緊張に顔を顰めていた。
「分かった。着いたらすぐに知らせてくるわね」
「お願いね」
キャロルが言い終わると同時に、車は動き出す。頭の中では、男のこぼしたあの言葉がぐるぐると回っていた。
東部国軍病院は、国軍東方司令部に併設されている軍の医療施設だ。軍医はこの医療施設を利用することができる。とはいえ、医療分野は軍でも重要視されておらず、施設の質としては上の下といったあたりだ。一通りの設備は揃っているものの、最新のものとは言い難い。この辺りでは、民間の総合病院よりやや劣っていた。それでも一次医療施設としては十分に機能できるほどの人材は揃っている。
深夜の二時を回ったところで、病院の中は静まり返っていた。院内には、救急で運ばれる患者を治療するための少ない人数だけが待機しており、彼らも今現在はあの酔っ払いの男を治療中だ。軍医であるキャロルはその人員に数えられておらず、別件で待機していた。誰もいなくなった医局で、手持ち無沙汰にアルコール中和法について書かれているページを撫でていた。
「キャロル先生、検査結果出ました」
飛び込んできた白衣の青年の声に、キャロルは慌てて顔を上げた。
「お、ありがと」
青年から差し出された書類を受け取り、すぐに目を通す。同じような数字が並ぶ表を睨みつけ、小さくため息をついた。
「んー……やっぱりか」
呆れてこぼしたキャロルに、白衣の青年は神妙な面持ちで頷く。
「ええ。でも、こんなもの、どこで手に入れたんでしょうね」
言って、彼は治療室の方を見やった。そちらの方からは、微かな呻き声が聞こえる。
「見たところ、普通の人なのに」
「さあ。そういうのは、調査してみないと分かんないし」
青年の言う通り、これは普通の人間が持っているものではない。検査結果は、その常識が覆された証左だった。少し前に感じた嫌な予感というものが、いよいよ以て現実味を帯びてきていた。だが、ここへ来てもキャロルは分からないという一言に縋って逃げてしまう。状況から判断すれば、明らかであるにも関わらずだ。
「キャロル先生、いるか?」
現実を突きつける声に、キャロルはすぐに手を挙げた。
「あ、こっちです」
上官は、キャロルの姿を確認してすぐに眉を寄せる。彼にしても、この状況は好ましくないはずだ。想定していたとはいえ、その予測は外れてくれていた方が良かった、くらいには考えているだろう。難しい表情をしたままこちらへ寄ってくるマスタング中佐に、白衣の青年は居心地悪そうに「失礼します」と一礼して踵を返した。すれ違いざまに白衣の青年を僅かに見遣ったロイは、だがすぐに視線をこちらによこした。
「すいません、夜遅くに」
狭い医局内で、少し声を落としてキャロルが言う。
「いいや。話は少尉から聞いている。結果は?」
「ビンゴです」
手短に訊ねるロイに倣って、キャロルも短く答えた。先ほど白衣の青年から手渡された紙を彼に見せ、書かれていた数字のうちの一つを指差す。
「血液から反応出ました。これ」
キャロルが指差した数字は、違法薬物の含有量だ。多数ある違法薬物の中で、唯一検出されたものがこれだった。ロイはキャロルから紙を引ったくり、恐らくその項目名を見つけたらしい。眉間に皺を寄せた。
「天使の歌声か」
「ええ」
答えたものの、ロイの顔は見ることができなかった。俯いたまま、キャロルは拳を握りしめる。それは、地獄を作るためだけの撲滅すべき薬品の名だった。
#鋼の錬金術師 #-其の錬金術師は夜に歌う
「お待たせ、カメリア」
慣れたような言い振りに、キャロルは僅かに眉を寄せた。
「ごめんね、リザ。こんな時間に」
「いいのよ。ちょうど帰ってきたところだったから」
リザが少しだけ微笑む。その表情からは疲労が見てとれた。そういえば、マスタング中佐が溜め込んでいた書類の提出締日が今日だった気がする。
慌てて店内から男を引っ張り出し、抱え上げて車まで運ぶ。リザが要領よく後部座席のドアを開けていておいてくれたおかげで、スムーズに放り込むことができた。
「んー? 美女……」
薄ら目を開けた男が、リザとキャロルを交互に見てからつぶやいた。呆れた酔っ払いだ。
「ここは天国かあ! なるほどなあ、道理で」
高揚した様子で車から降りた男を、キャロルは蹴って押し込む。
「うっさいなあ! ほら、さっさと乗れっての!」
ぐえ、と短く|呻《うめ》いてから、男は座席に仰向けになって倒れ込んだ。
「天使の歌声が聞こえるはず……だあ……」
「は?」
不穏な言葉を残して、男は再び眠りこけてしまう。いびきのような寝息をたて、どこか気持ちよさそうだった。
「随分酔ってるみたいね」
その様子を見ていたリザが、呆れたように呟く。
「うーん……酔っ払いなだけならいいんだけど」
言って、キャロルは自分のバッグに手を置いた。どうも、嫌な予感がする。やり取りを遠巻きに見ていたママの視線のせいもあるだろうが。
「そんじゃ、持って帰るね」
そっと声をかけると、ママは小声で応じた。
「ありがとう。またよろしくね」
「えー……程々にね」
苦々しく笑うと、ドアが閉まる音がする。リザはすっかり運転席に収まっていた。本当に要領のいい女だ。慌ててキャロルも車に乗り込み、一息ついた。と思えば、さっさと発進してしまう。行き先も彼女には告げていないが、心得ているのだろう。道順は間違っていなかった。
「ねえ、中佐は?」
後部座席を気にしながら訊ねると、リザはこちらを見ずに答える。
「帰る頃にはまだ仕事してらしたわ。どうしたの?」
「もしかしたら、相談することになるかも」
「え?」
ちょうど、停車する。停止信号だった。
「こいつ、ただの酔っ払いじゃなさそう」
言ってリザの方を見ると、一言で悟ったのか彼女は緊張に顔を顰めていた。
「分かった。着いたらすぐに知らせてくるわね」
「お願いね」
キャロルが言い終わると同時に、車は動き出す。頭の中では、男のこぼしたあの言葉がぐるぐると回っていた。
東部国軍病院は、国軍東方司令部に併設されている軍の医療施設だ。軍医はこの医療施設を利用することができる。とはいえ、医療分野は軍でも重要視されておらず、施設の質としては上の下といったあたりだ。一通りの設備は揃っているものの、最新のものとは言い難い。この辺りでは、民間の総合病院よりやや劣っていた。それでも一次医療施設としては十分に機能できるほどの人材は揃っている。
深夜の二時を回ったところで、病院の中は静まり返っていた。院内には、救急で運ばれる患者を治療するための少ない人数だけが待機しており、彼らも今現在はあの酔っ払いの男を治療中だ。軍医であるキャロルはその人員に数えられておらず、別件で待機していた。誰もいなくなった医局で、手持ち無沙汰にアルコール中和法について書かれているページを撫でていた。
「キャロル先生、検査結果出ました」
飛び込んできた白衣の青年の声に、キャロルは慌てて顔を上げた。
「お、ありがと」
青年から差し出された書類を受け取り、すぐに目を通す。同じような数字が並ぶ表を睨みつけ、小さくため息をついた。
「んー……やっぱりか」
呆れてこぼしたキャロルに、白衣の青年は神妙な面持ちで頷く。
「ええ。でも、こんなもの、どこで手に入れたんでしょうね」
言って、彼は治療室の方を見やった。そちらの方からは、微かな呻き声が聞こえる。
「見たところ、普通の人なのに」
「さあ。そういうのは、調査してみないと分かんないし」
青年の言う通り、これは普通の人間が持っているものではない。検査結果は、その常識が覆された証左だった。少し前に感じた嫌な予感というものが、いよいよ以て現実味を帯びてきていた。だが、ここへ来てもキャロルは分からないという一言に縋って逃げてしまう。状況から判断すれば、明らかであるにも関わらずだ。
「キャロル先生、いるか?」
現実を突きつける声に、キャロルはすぐに手を挙げた。
「あ、こっちです」
上官は、キャロルの姿を確認してすぐに眉を寄せる。彼にしても、この状況は好ましくないはずだ。想定していたとはいえ、その予測は外れてくれていた方が良かった、くらいには考えているだろう。難しい表情をしたままこちらへ寄ってくるマスタング中佐に、白衣の青年は居心地悪そうに「失礼します」と一礼して踵を返した。すれ違いざまに白衣の青年を僅かに見遣ったロイは、だがすぐに視線をこちらによこした。
「すいません、夜遅くに」
狭い医局内で、少し声を落としてキャロルが言う。
「いいや。話は少尉から聞いている。結果は?」
「ビンゴです」
手短に訊ねるロイに倣って、キャロルも短く答えた。先ほど白衣の青年から手渡された紙を彼に見せ、書かれていた数字のうちの一つを指差す。
「血液から反応出ました。これ」
キャロルが指差した数字は、違法薬物の含有量だ。多数ある違法薬物の中で、唯一検出されたものがこれだった。ロイはキャロルから紙を引ったくり、恐らくその項目名を見つけたらしい。眉間に皺を寄せた。
「天使の歌声か」
「ええ」
答えたものの、ロイの顔は見ることができなかった。俯いたまま、キャロルは拳を握りしめる。それは、地獄を作るためだけの撲滅すべき薬品の名だった。
#鋼の錬金術師 #-其の錬金術師は夜に歌う