彼の錬金術師は朝を嘆く(二)

 カトリーナは、カウンターに置かれていた小さなバッグから小型のケースを取り出す。それは、ちょうど二つの入れ物を|蝶番《ちょうつがい》で繋げたようなつくりをしていた。中に入っていたのは、数本のタバコだった。一本を取り出し、|咥《くわ》える。漫然と眺めていると、ハボックが「あ」と声を上げて自分のライターを取り出した。慣れた様子でライターの火を貰ったカトリーナは、一息吐いてから話し始める。
「これはね、最近ここら界隈をうろついてる若い男の子たちが売り捌いてんの。客は、大体あんたらくらいの年の男の子」
 あんた、と示したのはライターをしまっている最中のハボックだった。
「そういや、若い男に売りつけてるって聞いたな」
 彼がロイと情報収集に向かった先で聞かされたというのは、ブレダも把握している。
「イキってんのか、みんな揃いの刺青入れてんだよ。そのモチーフがスペードの形してるから、そいつらのことスペードって呼んでる」
「スペード」
 カトリーナに確認するように、ロイが復唱する。なかなか安直なネーミングだが、普遍的な言葉を使うのは良策だ。軍にそれと分かりづらい。
「構成員の半分は売人。で、半分は花売りの|斡旋《あっせん》してる」
 嫌な話になってきたな、とブレダは内心で嘆く。
「花売りって?」
「女性の情報屋だ」
 話の腰を折ってくれたハボックには、上官が丁寧に対応してくれた。概ね彼の言う通りだが、情報の仕入れ方に問題があるようにも思う。つまり、彼女たちは自分の女性性を売って情報を仕入れているのだ。それを花と称するのには、多少品がない気もする。
「ま、そっちの業界はそれで作法があんのよ。ほら、さっきロイがあたしのことカトレアって呼んだでしょ?」
 なるほど、カトリーナもその花売りのうちの一人というわけだ。
「花の名付きの花売りは安全だから、使ってあげてね」
「き、機会がありましたら」
 訝ったブレダに向けて営業するカトリーナは、やり手なのだろう。適当に答えると、彼女はにこりと笑った。さすがに経験豊富なだけあって、太刀打ちできそうにない。微笑んだカトリーナはすぐに表情を真剣なものに変えて続ける。
「で、スペードが斡旋してんのは花の名がない花売り。野良ってやつね。だから、うちらの商売敵なわけ」
 野良も何も、花の名をつけて営業しているのは、彼女たちの勝手だ。そういう法があるわけではない。
「どうも、ここ最近野良花売りがラリっちゃって使い物にならないって話が多くてさ。うちらにも影響したらヤバいじゃん? だから、独自に調べてたんだ」
 そこまで一気に言い切ると、彼女はタバコに口をつけた。
「そんで、これにたどり着いたってわけ」
 カトリーナは、ロイに向けて煙を吐き出す。至近距離で食らった彼は、手で煙を追い払った。その仕草に、何が面白いのかカトリーナは声を立てて笑う。
「ということは、カティはスペードと接触できたんだな」
 ようやくそこで話を向けると、カトリーナは微かに眉を顰めた。
「まーね」
「紹介してもらいたい。できれば、上の連中と」
「はあ?」
 畳み掛けるようにするロイに、今度は明らかに眉を寄せたカトリーナが厭そうな声をあげる。彼女はそのままの表情で少しだけ逡巡させていたようで、ややあってからため息をついた。
「いいけど……別料金だよ。あたしだって、一応身の安全は欲しいもん」
「構わん。成功報酬で倍出す」
「おお! やるやる!!」
 金に飛びつく彼女の姿に、倍額ということは三十万か、と咄嗟に考えてしまう。手付けの十五万と合わせたら四十五万、スペードとやらの組織のトップを紹介するだけにしては、どうも高すぎる気がする。それでも即決で出すと言った上官にとっては、それほどの価値があると確信しているのだろう。一センズも出すことのないブレダが文句を言える立場にないのは分かっているが、どうもきな臭いというのは拭えなかった。
「そんじゃ、いつものルートで情報送るわ」
「ああ、頼んだよ」
「おけおけ!」
 考えている間に二人はさっさと話をまとめ、ロイから肩を叩かれる。帰るぞ、という合図だ。徐に席を立ち、同じようにしていたハボックに目配せをしてドアの方へ向かった。
「あ、そうだ」
 帰り支度を始めた頃合いで、図ったようにカトリーナが訊ねる。
「何だ?」
 ロイが応じると、カトリーナは少し声を落として続けた。
「あんた、カメリアって知ってる?」
 カメリア、というのも花の名前だ。知らぬふりをしながら気に留めておく。
「生憎、花遊びする趣味はないんだよ」
「あ、そ。じゃ、いいわ」
 にべなく返されたカトリーナは、追及せず引き下がる。大した意味はないのか。いや、ロイにカメリアの名を知らせるという目的があったのかもしれない。だとすれば、カメリアなる女は上官の障害となるような存在という可能性もある。覚えておくに越したことはないな、と考えながらドアを開いた。
「それじゃあ、よろしく。カティ」
 気にした様子のない上官は、呑気に知り合いに挨拶をしてからこちらに歩み寄ってくる。彼が通り過ぎるのを待って、カトリーナに頭を下げた。彼女は愛想のいい笑顔を向けて手を振ってくれる。人畜無害で無邪気な振る舞いは、すっかり胡散臭く見えてしまっていた。



 恐らく彼女の危険性は上官には分かっているはずだ。この中で呑気に構えているのは、彼の後ろについているハボックくらいだろう。良かったですね、などと上官に話しかけているのを見て、呆れ返ってしまう。
「中佐、大丈夫なんですか? いきなり接触って」
 足早に歩いて彼らに追いつくと、さっそくロイに訊ねる。想定していたのか、彼は嬉しそうに頷いた。
「大体目星はついているんだ」
「じゃあ」
 さっそく捕まえるんですか、とでも続けようとしたらしいハボックを遮り、先回りしてロイが首を横に振る。
「が、証拠が足りない」
 ロイが何を掴んでいるのかは知らないが、そうであれば無茶のように見えたカトリーナとの交渉にも納得がいく。
「あまり悠長にことを構えている余裕もなさそうでね。向こうも勘づいているようだからな」
 向こう、というのは目星をつけた人間のことだろう。
「多少|荒業《あらわざ》でも、早くに決着させなければ」
 口調にも焦りが滲んでいる上官に、珍しいな、と思った。
「食いついた魚を逃がすつもりなどないぞ」
 こちらを見もせずにそれだけ言い放ち、ロイはさっさと先を歩いていく。まったく余裕もないらしい。その理由が分からず、同じように呆気に取られている同期を見やる。彼は彼で上官の態度には思うところがあるらしく、珍しく顔を顰めていた。
「つーか、軍規的に大丈夫なん?」
 ハボックの口から軍規などという言葉が出るとは思わず、一瞬面食らってしまった。
「まあ、一発アウトだな。バレたら軍法会議モノ」
 茶化したようにして答えたが、実際はかなりの綱渡りだ。カトリーナとの取引は、完全に違法行為に該当する。捜査権限のない一般人を金で雇うというのは、誰がどう頑張ったところで申し開きはできないだろう。処罰にしても上官一人の首で済むはずもない。何しろ、現場には自分たちもいたのだ。
「だよな。多少どころか、すげー荒業だろ」
 ロイの言葉を思い出し、嘆息する。とはいえ、今更どうしようもない。
「バレなきゃ平気だよ、バレなきゃ」
 諦めて言い放ち、歩を早める。さっさと行ってしまった上官を一人にするわけにはいかない。
「うええ……俺らも汚い大人の仲間入りかよ」
「今更だろ」
 情けない声を上げるハボックに、苦笑した。その通り、全ては今更だ。ロイ・マスタング中佐の下で働くと決めた時点で、もう引き返すことなどできなくなっていたからだ。元より、そのつもりもない。
 ブレダの考えるべきことは、目下の所、どうやってあの真っ直ぐで危なっかしい上官を守るか、ということだけだ。


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