彼の錬金術師は朝を嘆く(五)

 しばらく沈黙していたものの、先に耐えられなくなったのはキャロルだった。座ったまま身じろぎもしないロイに、とりあえず軽く振ってみることにする。
「しっかし、馬鹿だねえ。リザにバレるようなとこでヘマしちゃってさあ」
 功を奏したのか、彼は苦々しい顔をして口を開いた。
「油断したんだ。まさか、キスをされるとは思っていなかった」
「嫌味かよ、色男」
「羨ましいか?」
「何でだよ。あたしは、女にモテても嬉しくねーよ」
「そっちではなく」
 ロイが苦笑する。意味は分からなかったが、とりあえず緊張が解けたのなら何よりだ。しかし、問題なのはそちらではない。
「あんたも花遊びとかするんだね」
 声を落として言うと、彼ははっと顔をあげる。
「何だ、君も嫉妬か」
「はあ?」
 要領を得ない返答に、キャロルは首を傾げた。
「ん? 何故彼女が花売りだと分かった?」
 しまった、と内心で舌打ちする。ロイの中では、キャロルは勤勉な医師であり錬金術師のはずだった。まさか、ああいった連中と関わりがあるとは思っていないだろう。
「あー……女の勘ってやつよ」
 適当に濁すと、彼はますます訝る。
「子供に備わっているとは思えんが」
「テメ、ガキ扱いすんな!」
「そういうところが子供なんだよ、君は」
「悪かったな!」
 机に両手を突いて怒鳴りつける。自覚はあるが、どうも衝動が抑えられない。
「もう少し、淑やかにしておいたらどうだ? それだけでだいぶ大人びて見えるぞ」
 まるで言い含めるようにするロイに、ますます苛立ちが募る。
「何それ」
「私の好みの話だ」
「ガキは好みじゃない、と」
「そういうことだよ」
 楽しそうな様子のロイに、あからさまに不機嫌にしてみせた。
「なんであんたの好みに合わせなきゃいけねーんだよ」
「何せ、君は私の嫁だからな」
 言い切ったロイだが、彼は単身者である。キャロルにしても、彼と結婚したつもりはない。こんな言われ方をするのは腑に落ちなかった。いや、以前にも似たようなことを言われたような気がする。
「そういや、前にナントカ将軍がそんなようなこと言ってたね。あれ、何? 風評被害も甚だしいんだけど」
 ハクロ准将だな、と呟いたロイの表情は、心なしかやや沈んで見えた。
「将校付き医師の通称みたいなものだよ。常に随伴している関係上、夫婦のように扱われる」
 へえ、と感嘆の声を漏らしたキャロルだが、すぐに思い直して首を振る。
「いや、聞いてねーし」
「そもそも将校付き医師の数自体が少ないからね。なかなか聞く話でもない」
 確かに、それはそうだ。
「それに女性は君だけだ」
「じゃ、被害に遭ってるのもあたしだけか!」
「被害とは随分だなあ。普通、喜ぶものではないかね」
「何でだよ!」
 食ってかかるキャロルに、ロイは得意満面で応える。
「私はいい男だろう?」
「自意識過剰じゃね……?」
 半分呆れて呟いた。もう半分は、彼に同意する。確かにここ最近のロイの行動には呆れることの方が多いが、やはり当初の印象の方が強い。随分昔の感情なはずだが、仕舞い込むには重すぎたようだ。それでも、今のキャロルが彼に伝えるべきことではないと、改めて思い直す。
 ふと、コンコンと二度ほど扉を叩く音がして、そちらを向いた。開けっ放しの扉を律儀にノックしてくれたらしい。
「あの、お話中のところ失礼します」
「お、グレンさんじゃん。やっほー」
 おずおずと切り出すグレンに、キャロルは不自然に見えるように敢えて明るく手を振った。彼はやはり自信なげな様子のまま微笑んで一礼してから入室してくる。
「三件ほど例の結果が出ましたので、お持ちしました」
 キャロルを通り越したグレンは、ロイに書類の束を差し出した。この間、リザと二人で恫喝——もとい、お願いに行ったのが効いたらしい。
「ああ、急かしたようで悪かったね」
 ロイはこちらを一瞥してからグレンに向かって言った。
「いえ。こちらの怠慢ですから」
「怠慢、か」
 書類を繰っていたロイは、ふと手を止める。グレンの思惑はとうに露顕していた。態度でそれを悟ったのか、グレンは慌てて頭を下げる。
「申し訳ありませんでした、中佐」
 聞こえるようにため息をついてみせたロイは、書類から視線を外してグレンを見上げる。
「何か意図があったように見えるが」
「その……あなたを試すような真似を」
 下げていた頭を戻しながら、グレンが続ける。
「|天使の歌声《これ》はこの世にあってはならない劇薬です。撲滅するのなら、本気で取りかからないと」
 苦しそうに眉根を寄せる彼の様子から、その言が嘘であるとは思えなかった。
「中途半端な気持ちで関わってもらいたくなかった。だから、敢えて情報をお渡ししませんでした」
 要するに、ロイを軽んじて見ていたという自白だ。だが、彼の気分を害したのはそのことではなかった。
「それでホークアイ少尉をけしかけたわけか」
 リザを試金石に使ったことだ。殺意にも似た妙な気迫を持った視線を向けられたグレンは、一瞬肩を震わせていた。隣にいただけのキャロルでさえ、背筋に冷たいものが走るのを感じる。助け舟を出すか悩んだが、あまりの気迫に声が出せなくなってしまった。
「すみません。でも、彼女の言葉で分かりましたよ」
 意外にも、グレンはあっさりと首を振って答える。
「あなたは、どんな手を使ってでも、これを滅するつもりですね」
 ロイが押し黙っていると、グレンはさっと表情を変えた。
「僕を牽制した上で、あなたを貶したことを責めてきました。彼女、すごい覚悟であなたに付いているんですね」
 まるで|嘲《あざけ》るような言い方だ。先ほどまで怖気付いていた男とは思えない。一気に形勢が逆転している。余裕綽々なグレンとは対照的に、ロイは苛立ちを隠しきれていない。
「さあ。それは彼女にしか分からんことだ」
「分かりますよ」
 焦ったのか視線を逸らしたロイに、グレンが追い打ちをかける。
「あの鷹の目は、いつもあなたの敵を捉えている。あなただけの目だ」
 鷹の目、というのはリザを評する言葉だった。戦場で彼女を称賛する呼称を、敢えてこの場で使ったのはさすがに看過できない。口を開きかけたキャロルを制したのは、ロイだ。
「血生臭い話をするために、わざわざ?」
 多少冷静さが戻ったのか、苦笑混じりに訊ねるロイにグレンは徐に頭を振った。
「いえ。失礼いたします」
 一礼した彼は、足早に去っていった。その背中が見えなくなると、ロイは深くため息をついた。
「宣戦布告だな」
 確かに、あの言い振りは事件に関わっていることを自白しているも同然だった。ただ、規模的に彼の単独行動の結果というのもしっくりこない。誰か協力者がいるのか、もしくは利用されているのか——否、ロイに対する態度がそれにしては大胆すぎる。
 思考にかまけて押し黙っていると、ロイから懐疑的な視線を送られているのに気付いた。
「や、熱いラブコールじゃん」
 軽口を叩くと、彼は眉根を寄せた。
「男からのは嬉しくないなあ」
「男女問わずモテモテってことでしょ? 素直に喜べよ」
 笑い混じりにからかうと、ロイがやおら立ち上がる。さすがに空気を読まなすぎたか、と多少反省した。
キャロル先生」
 真剣な語調に、キャロルは後退りする。
「何ですか?」
「ここから先は軍人の仕事だ」
 軍人、と強調するロイに、キャロルは反射的に口を開いた。
「はあ!? 今更はしご外すわけ!?」
「大いに役立ってくれたよ、君は」
 言いながら歩き出した彼は、すれ違いざまに
「後は任せろ」
 とキャロルの背中を軽く叩いてから、さっさと行ってしまった。
「あ、ちょっと!!」
 追いかけるような雰囲気ではないものの、納得のいかない感情だけで怒鳴りつける。
「あんのクソ野郎……使うだけ使ってポイかよ!」
 大声で怒鳴りつけて、床を踏みつけた。気は晴れないが、多少冷静にはなった。彼の言う軍人の中にキャロルだけが入っていない。どんな思惑があるかは知らないが、一人だけ除け者扱いをされた、というのは確かだった。
「あいつ、あたしのことナメてんな」
 乱暴に頭を掻きながら、キャロルはロイの出ていった後を睨みつけていた。


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