其の錬金術師は夜に歌う(十三)

#鋼の錬金術師

「ということは、意図的に隠していた、ということ?」
 廊下ということもあり、リザは多少声を落として訊ねてきた。
「その可能性が大きいってことだよね」
 キャロルが答えると、リザは軽く唸って考え込む。
――パトリックとの会談後に、状況の読めていないキャロルのためロイが軽くまとめてくれた。曰く、この件に関わっているのは軍内部の人間で間違いない。だからこそ、民間病院と軍直轄病院での情報に齟齬があるわけだ。軍側で意図的に情報を秘匿していた。問題はどの段階で軍が関わっているか、だった。つまり、現場だけで秘匿しているというのならば問題はそう大きくならない。だが、上層部の方からの指示であるということになれば話が大きく変わってしまう。東方司令部だけで済む話ではないかもしれない。まあ、そこまでいくと小説の世界だが、とロイは笑っていたが、半分くらいは本気であるようだった。
 それらを全てリザにも説明し、二人は資料検査鑑定室へ向かっていた。遺体鑑定や遺留品鑑定を一手に引き受けている部署である。タバコに付着していた粉末を調査したのも、ここだ。確か常勤の鑑定医と、検査技師が最低一人ずついるということだった。
「グレン・ペンバートン技師……特段変わった経歴はないわね」
 抱えた書類の中から一枚を取り出したリザは、軽くそれを眺めてからキャロルに差し出す。
「もう調べたんだ」
 あのタバコの鑑定結果を持ってきた技師の名だ。去年、東方司令部に配属になっている。
「ええ。中佐に言われて」
「中佐に? いつ?」
「ペンバートン技師がうちの倉庫……いえ、部屋に訪れたことがあったでしょう? あの時よ」
「そんな早くから」
 キャロルは面食らってしまう。あの段階でグレン・ペンバートンを疑うという考えは、キャロルにはなかった。これに限らず、彼は少ない情報量から状況を推察することに優れている気がする。キャロルにしても鈍い方だとは思っていなかったが、自信がなくなっていく。
「ロイ……中佐って、結構気とか頭回してんだね」
 昔からの知り合いである錬金術師の感覚が抜けていなかったのだろうか。あの頃のロイとは別人であるように感じることが増えていた。
「そうね。油断をすれば寝首をかかれると本人は仰っていたけど」
「え?」
 物騒な言葉に、思わずリザの顔を覗き込んでしまった。一瞬だけ罰の悪そうな顔をしたリザは、すぐに笑みを浮かべた。
「例え話よ。そのくらい、敵が多いの」
「そう、なんだ」
 恐らくキャロルを不安にさせないための弁だ、というのは分かっている。だが、それにしても安心できるようなものではない。
「驚くわよね。でも」
 リザは声色を変える。
「あなたも中佐を守るためにここにいるというのであれば、知っておいた方がいいと思う」
 言った彼女の顔も、昔から見知った顔ではなかった。軍服を着ているだけのリザではない。彼女もまた彼と同じなのだろう。
「彼は、あなたの知っている錬金術師ではなく、軍の命令で動く国家錬金術師だということ」
 考えていたことを彼女の口から肯定され、ぎくりとする。
「分かってる……」
 返しはしたが、本当は全て理解しているとは言い難かった。
「信用できる軍関係者なんて、数えるくらいにしかいないということ」
 リザと同じタイミングで足を止める。彼女は目を合わせなかったが、キャロルにしてもその気はなかった。それでも彼女の方を見たのは、どんな表情で話しているのかが気になったからだ。思ったよりも平然としている姿に、リザの覚悟を窺い知れる。
「さて、ここね。資料鑑定検査室」
「ん」
 タイミング良く足を止めたのには、ここが目的地であったからという理由があった。簡素な札が掛けられただけの扉を見つめ、二人で同時に頷く。
「専門的な話は任せたわよ、キャロル先生」
「オッケー、ホークアイ少尉」
 互いの顔は見ないままで、リザが扉をノックする。返事はなかった。だが、構わず彼女は一気に扉を開け放った。
「失礼します、グレン・ペンバートン技師は」
「あっ!」
 開け放つと同時にリザがかけた声に、驚いたような声が返ってくる。
「す、すみません! 今片付けますから!」
 何らかの器具が其処彼処に散らばった机の上を、青年技師が慌てて整理しだした。今更どうしようもないくらいに散らばっている。キャロルも人のことは言えないが。
 部屋は広く、だがそのほとんどは実験器具と書類、書籍の類で占有されている。そのせいで雑然とした印象がどうも拭えない。検査室なのだから構わないと言われればそれまでだが。窓一つない部屋というのは、どうも見た目に良くない。
「いえ、お構いなく。ロイ・マスタング中佐の直属で、リザ・ホークアイ少尉と申します」
 リザが敬礼をするタイミングで、同じような姿勢を取る。慌てていたグレンの手が止まった。
「ああ……あの若い中佐殿。国家錬金術師でしたよね」
 その言葉に棘を感じたのはキャロルだけではなかったようだ。僅かにだが、リザの眉が動く。
「ええ。銘は」
「焔、ですね」
「よくご存知で」
 リザを遮るようにして答えたグレンに、冷たく返す。
「まあ……僕の兄はイシュヴァール戦に参加していた軍人ですので、名前くらいは」
「そうでしたか」
 いかにも興味なさげ、といった趣きでリザが応えると、さすがのグレンも彼女の意図を悟ったらしく、再び机の上をいじりはじめる。
「それで、何か用事でも?」
 こちらに目もくれずに訊ねてくるグレンに、辟易としてリザが切り出した。
「お聞きしたいことが」
「何でしょう?」
「ここ数日、天使の歌声を摂取したという患者がいないようなのですが」
 グレンの手が止まる。だが、やはり視線はくれなかった。
「ええ、しばらくは平和ですね」
「いつ頃から?」
「ええと……そうですね。一週間前ほどから」
「パタリと?」
「ええ」
 嘘だな、と咄嗟に思った。視線をくれないのは、動揺を悟られないためだ。それも、リザの方ばかりを気にしている。彼女が目聡い人間だと理解しているのだ。
「分かりました。上官には、そう報告しておきます」
 リザの方もなかなか上手い返しだ。暗にマスタング中佐からの要請だと伝えている。彼女に嘘や隠し立てをするつもりであれば、その上官に対しての行動も同じことだと牽制しているわけだ。妙に手慣れてはいるが、グレンの方には経験が乏しいらしく返す言葉を考えあぐねているようだった。このまま膠着していても埒があかない。
「あの」
 ようやく絞り出した彼の声は、やや緊張していた。
「何でしょう?」
「マスタング中佐は、天使の歌声を調査しているのでしょうか?」
 何とも素直に訊いてくれるものだ。まるで自白している犯人のようだった。
「そういったことは、直接上官に」
 リザの呆れたような声に、内心で同意しておく。
「あ、そ、そっか……すみません」
「いえ」
 目的は大方達成できた。まさかこう簡単に陥落してくれるとは思っていなかったが。ふと、思い立つ。少し押せば話してくれそうだ。
「グレンさんさあ」
 軽い調子で切り出すと、彼はぱっと顔をこちらに向けた。
「技師ってこの部屋一人だけ?」
「いえ。あと一人配属されてます」
 キャロルが首を傾げると、彼は小さく補足する。
「交代制で」
 なるほど、道理で彼以外に姿がないはずだ。
「ってえことは常時一人でやってるってこと?」
「まあ……あまり需要のある部屋でもありませんから」
 嘘をつけ。思っただけで言葉にするのは堪えた。
「にしては抱え込みすぎじゃね? だいぶ溜まってるみたいだけど」
「あ、それは」
 キャロルが指差したのは、机の上の実験器具とは対照的に整然と積まれた書類たちだった。机の端の方へ追いやられている。手付かずと言った方が早い。
「すみません、実は案件を溜め込んでしまいまして……」
 しおらしく頭を下げるグレンに、ため息をついた。責め立てる言葉しか出てこない。口を開き掛けたところで、リザに制される。
「そうだったの。別に責めようと思ってきているんじゃないんです」
 至極穏やかに、彼女は応じた。先程までの厳しい口調からの落差が激しい。やはり、彼女の方が|上手《うわて》だ。
「何か新しい情報があれば教えてほしいんです。どうしても」
 リザを見ると、口調とは裏腹に厳しい表情をしていた。
「これは……あとに残すべき問題ではありませんから」
 恐らく、それはロイの言葉でもあるのだろう。天使の歌声と聞いてからの彼の行動を見れば、明らかだ。彼は、この薬剤を憎んですらいるようだった。
「それは、僕も同じ思いです」
「え?」
 唐突に向けられた言葉に、キャロルはいつの間にか俯いていた顔を上げる。先程までおどおどとしていた青年が、急に真面目な雰囲気を醸している。
「僕の兄、イシュヴァールへ行った軍人なんですが」
 そういえば、そんなことも言っていた。
「帰ってきた兄は……変わり果てた姿になってしまっていました」
「まさか……」
 息を呑んだリザに向かって、グレンは首を横に振った。
「戦死、であればもうちょっと楽だったかもしれませんね」
 そう言って、彼は少し笑ったように見えた。
「兄は、戦場で天使の歌声を投与され、もう右も左もわからないくらいに、ボロボロになっていたんです」
 キャロルは、そんな話は聞いたことがなかった。グレン・ペンバートンはイシュヴァール人ではない。であれば、その兄がイシュヴァール戦に参加していたというのはアメストリス軍側ということになる。天使の歌声を味方に投与したというのが本当であれば、誰がそんな指示を何の目的でしたのだろうか。嫌な予感がする。
「アメストリス軍への投与は」
「もちろん、自白剤としてではなく」
 呆けていたキャロルの代わりに訊ねたリザに、グレンは用意していたように的確に答える。
「大怪我を負ってしまったので、鎮痛剤として大量投与されたそうです」
「そんな……」
「そうだろうね。だからこそ、天使の歌声に鎮痛効果があるなんて分かってるわけだし」
 打ちひしがれるリザには悪いが、妥当なところだとは思う。イシュヴァール戦以前には存在すら公になっていなかった薬品だ。一気に効能や危険性までが把握できるようになったというのは、イシュヴァールで十分な結果が得られたということを示している。イシュヴァールの武僧に対する自白剤投与だけで、長期的な摂取リスクまでは分からないはずだ。
「敵味方関係なく、色んな人がこれの犠牲になってきたんだ」
 キャロルにしても、天使の歌声に思うところがないわけではない。強力な自白剤は捕虜を拷問にかけることなく情報を抜き出すのに役立つだろう。だが、そのために人間性まで破壊しつくしてしまって良いはずがない。
「ええ。だから」
 グレンは頷き、そこで暫し押し黙ってしまう。
「面白半分に手を出すものではない、と思います」
 吐き出すようにした彼の言葉は、考えていたよりも重かった。グレンはリザに向けて、続ける。
「もし、マスタング中佐が中途半端に関わるつもりなら」
「その心配はないわ」
 言い終わらないうちに、リザが首を振って遮った。
「あの人は、そういう適当な人ではないから」
 彼女の言葉に、少し軽くなった。確かに軍人として国家錬金術師としてのロイは、キャロルの知る彼とは少し乖離しているように映ったが、それでも彼の側にいたリザがそう評すのであれば変わらないところもあるはずだ。キャロルの知るロイは、真面目で、いつでも真摯に向き合ってくれる真っ直ぐな人だ。年下のキャロルにも、対等であるように振る舞ってくれる。適当な人ではない、というのは、キャロルの認識と少しもずれていなかった。
「でも」
「天使の歌声については、思うところもあるみたい」
 不服に声を上げたグレンだが、リザの勢いの強さに押し黙った。
「私は詳しくは知らないけれど」
 そうだろうな、と内心で思った。ロイが、あのロイのままであるのなら、リザに天使の歌声の詳細を話すようなことはしないだろう。
「たかが部下ですよね、言っちゃ悪いですけど」
 突然声色を変え、憤ったようにグレンが言い放つ。
「あなたに、中佐の何が分かるんですか?」
 明らかな挑発だ。これに気づかないリザではないはずだが、彼女は露骨に不機嫌を表情に出していた。
「あなたよりかは、彼について知っていることは多いつもりですけど」
 低く言ったリザには、グレンだけでなくキャロルも半歩ほど後ずさってしまうほど迫力があった。奇妙な静寂が部屋に流れる。ややあって、リザが咳払いをした。
「とにかく、何か分かったらご一報を」
 すっかり普段の通りで押し通すリザに、グレンは慌てて頷く。
「ええ……何か分かったら、必ず」
「お願いします」
 念を押してから、彼女はキャロルに「行きましょう」と退室を促す。何ができるわけでもなく、そのままおとなしくリザに従っておくことにした。

2023年12月27日