其の錬金術師は夜に歌う(十四)

#鋼の錬金術師

「こっわ……リザ、怒ると怖い」
 検査室から少し離れてから、キャロルがぼそりとつぶやいた。
「怒って怖くないのなら、怒った意味がないじゃない」
 そう言ったリザは、呆れからかため息をつく。挑発はいいが、やり方が悪かった。ロイのことを突くというのは、悪手だろう。
「にしてもさ」
 ふと気づいて、切り出す。
「いつの間にそんなに仲良くなったの? リザとロイ」
 キャロルの記憶にある二人の関係性とは少し違うように見えたからだ。だが、本人は心底意外そうにしている。
「変わらないわよ、別に」
「そう? 昔は、なんかこう……つんけんしてたっていうか」
 言ってみたものの、どうもしっくりこない。そういうような扱いとはまた違うような気がする。暫し考えた後、ぱっと思いついた。
「ロイのこと避けてなかった?」
「そんなつもりなかったわよ」
「そうかなあ」
「そうよ。それに、どっちかというと」
 リザはさっとキャロルから目を逸らす。
「彼の方が私を避けていたように思えていたけど」
 そんな風に思っていたというのは、意外だった。お互いに避けられていたと思い込んでいたということか。
「そんなことないと思うよ」
 そう言うだけに留めておいたのは、それを伝えるのはロイ本人からの方が良いと思ったからだ。
「ま、でも良い事だよね」
 キャロルが言うと、ようやくリザはこちらを向いてくれた。
「え?」
「あたし、リザとロイが仲良くしてくれて、嬉しいんだ」
 要領を得ないといったように首を傾げるリザに、改めて言葉を選ぶ。
「あたし以外の錬金術師とも、仲良くしてくれてる」
 彼女は、複雑に表情を歪めてからため息をついた。
「あのね、キャロ
 そこで言葉を切ったリザは、キャロルの頭を優しく撫でる。そういえば、昔もこんなことがあった気がする。
「私は、あなたが錬金術師だから仲良くしたいと思ったわけじゃないのよ」
 撫でたままで、彼女は穏やかに続ける。
「あなたが、私を見てくれたから」
 そこで軽く首を振って言い直した。
「私を知ろうとしてくれたから、それが嬉しかったの」
 何だか大袈裟だ、とキャロルは思った。キャロルがそうしようとしたのは、リザがキャロルに関わろうとしてくれたからだ。それは、リザだけではないが。
「そんなの、ロイだってそうじゃん」
「そうね」
 頷き、リザはキャロルから手を離す。
「今ではそう思う」
「だから態度が軟化したんだ?」
 俯いたリザの表情を覗き込んで訊ねる。彼女は頬をさっと赤くして、キャロルを睨みつけた。
「もう、いいじゃない。この話、やめましょう」
「はいはーい」
 照れたようなリザの表情に満足して、キャロルは先を歩いた。



「仕事を溜め込んでた?」
 早速上官へ報告すると、半ば嬉々として返された。
「けしからんな! 実に!!」
 憤ってみせる彼の机の上には、未処理の書類が高々と積まれている。以前よりだいぶ成長しているようだ。
「あんたが言うか」
「今は優先すべき事項を優先させているだけだ」
 ものは言いようだ、と思ったが口に出すのはやめておく。キリがなさそうだ。そういえば、こう言う時真っ先に誰かしら何かしらの物言いがつくものだが、今は静かだ。元が倉庫であるせいか、人が少ないと妙に広く見える。
「他のみんなは?」
「各々働いてもらっているよ。遊ばせておくほど、暇じゃないんでね」
「ふーん」
 なるほど、先回りに足場固めは万全らしい。上手くやるものだ。
「さて、溜め込んでいた仕事というのは、敢えてか」
 ロイが訊ねたのは、リザだ。ええ、と頷いた彼女は、先ほど報告した時と同様に淡々と答える。
「一週間前から、と言っていましたから」
「まあ、そうだろうな」
 想定通りといったところだろうか。意図的に情報を秘匿していたのはグレンだった。そのグレンを訝ってリザに調査を命じていたのは、だいぶ前の話になる。ロイにはこの状況が予見できていたからこそ、焦りは一切なかったというわけだろう。
「あのさあ」
「どうした?」
 少し気に掛かっていたことを、思い切って訊いてみることにした。
「グレンさんが言ってたんだ。天使の歌声って戦場で使われたってのは聞いてたけど」
「ああ」
「味方にも投与してたって、ホント?」
 一瞬驚いたように目を見開いたが、すぐに平静に戻った上官が答える。
「本当だ」
「そう」
 短い答えの中には、これ以上追及するなという意図がありありと見て取れる。だが、その通りにしてやるわけにもいかない。
「あんたたちも、使った?」
 訊きたかったのは、これだ。傍のリザは|徐《おもむろ》に首を横に振る。
「いいえ。私にそういう薬剤の類が回ってきたことは一度もなかったわ」
 とりあえずは安堵する。
「中佐も?」
「さあ、覚えていないよ」
「そっか……」
 そもそも、戦時中に投与された薬品を一々覚えている時間があるほど、ゆとりのある戦場ではないはずだ。何となく、そう返されるだろうとは思っていたが。
「それよりも、餌を食い逃げされては困るからな」
 さっさと話題を戻したロイは、リザの方をじっと見つめていた。
「次の手は早急に打つべきだ」
「そうですね」
 頷いたリザは、すでに何かしらの意図を彼から汲み取っているようだった。
キャロル先生」
「何?」
 要領を得ないまま、キャロルが返す。ロイは面倒そうに椅子から立ち上がり、机を回ってキャロルの傍まで歩み寄る。彼を目で追っていると、頭を軽く叩かれた。
「あまり過去に執着するな。今、やるべきことを考えておけ」
 少し声を落としてそれだけ言うと、ロイはキャロルの頭から手を離す。
「分かりました」
 全部お見通しだったようだ。気恥ずかしいのと居心地が悪いのとで、多少ぶっきらぼうに返す。すると満足したのか、彼はさっさと歩いて行ってしまった。
「中佐、どちらへ?」
 リザが慌てて訊ねるが、上官がこちらの方を向くことはなかった。
「今日は十分働いただろう。帰るよ」
 そのまま扉の前まで来たロイは、多少大袈裟な調子で続ける。
「ああ、そうだ。ついでに新人も|労《ねぎら》ってやろうか」
 さすがのキャロルでも、これは分かる。要は、飲みに行くつもりなのだろう。それらしい理由を取って付けてきたのは、どうも怪しい。
「お疲れ様です」
 その不自然さには言及せず、リザは敬礼をとった。上官がこちらを向いていないのだから、あまり意味はないように思うが。
「君らも早めに帰れよ」
「はーい」
 キャロルが軽く返事をすると、そのまま部屋を後にしてしまった。どうも食えない男だ。元からこうだったか、と考えてやめる。敬礼を解いたリザは、さっさと自分の机へ向かっていった。
 キャロルの知らない彼らが、どこか遠くへ行ってしまうような気がして、少し怖かった。けれど、それはもう止められないことだと分かっている。キャロルにできるのは、今やるべきことをすることだけだ。先ほどの上官からの言葉を何度か反芻してから、キャロルも自分の机へ向かう。
 夜はまだ、明けることはなかった。

2023年12月30日