与えられた部屋は、豪華ではなかったが質素というほどでもない。殺風景というのが一番近いかもしれなかった。オズウェルの屋敷はそれほどシンプルな造りではないはずなのに、この部屋の中はひどくさっぱりとしている。簡素な造りのベッドと机に椅子、あとは何もない。この部屋と、ラントでの自室を比べると胸が痛くなってきた。ここへ来て一週間経つというのに、その感覚はまだ消えない。
机の上に置かれた本は、初めて養父から与えられたものだった。ストラタ史、と書かれたその表紙を開くことは、まだできていない。何でこんなところにいるんだろう、と何度も思った。本当なら、バロニアから戻ってくる先はラントの家だったはずなのに。バロニアに到着した途端、父はヒューバートを養子に出す、と唐突にも突き放した。厳しい父の表情に、何の異論も出せなかった。せめて最後に母と兄に会いたいと言っても、それは無情にも却下されてしまった。母も、兄も、ヒューバートが養子へ行くということは承知しているのだ、と父は言った。
ぼくは、ラントにいらない子供だったんだ。結論は出ているはずなのに、そこから先の一歩が出ない。
「ヒュー君! ヒューバートくーん!!」
ぼんやりと表紙だけを眺めているヒューバートに、激しいノックの音と無遠慮な声が襲いかかってくる。あまりの音にびくりと肩を震わせたが、その声には聞き覚えがあった。バロニアからここに至るまでの道中、鬱陶しいくらいに話しかけてきた女の子だ。人懐こくて、明るい笑顔の女の子で、どこか故郷の兄に似ている気がして無下にはできなかった。それが、彼女をまた懐かせているのかもしれなかったが。そういえば、名前もちゃんと聞いていた。確か、オズウェルの近所に住んでいるベレスフォード卿の一人娘で、メグと言っていたような気がする。緊張しながらドアに近づき、脳内でメグ、メグ、と繰り返す。
「あ、いたいた。何だよー、いるならちゃんとお返事してちょうだい」
にこりと笑ったメグは、ぽんぽんとヒューバートの肩を叩く。無遠慮に触れて来る彼女に、また兄を思い出した。
「うん……」
「元気ないね。大丈夫?」
「うん」
俯いたヒューバートの顔を覗き込んで来るメグから、逃れるようにして顔を逸らす。すると、偶々通りがかったメイドの一人と目が合った。年若いメイドだが、それなりに年数をこなしているらしい。主にヒューバートの世話係をしてくれている女性だ。彼女はメグの方を見て、はあ、と溜め息を吐く。両腕に抱えていたシーツを持ったまま、メグの方へ近づいて来た。
「こら、メグお嬢様! あまりご養子のお部屋に勝手に入られては困りますよ」
まるで母親のように叱りつけた彼女に、俄に焦る。オズウェルの使用人が、他所の家のお嬢様にこんなに親しげにしていて大丈夫なのだろうか。だが、叱られたメグの方は至って平気な顔で、軽く頭を下げている。
「ごめん、ごめん。でもおじさまの許可はもらったよ」
「旦那様がお許しになったらよろしいですけど……悪戯はほどほどにしてくださいませね」
「はあーい」
間延びした返事に、メイドは顔をしかめていた。
「あ、ねえ」
「何ですか?」
踵を返しかけていたメイドを呼び止めたメグは、早口に訊ねる。
「ヒューバート君、連れ出してもいい?」
一瞬、また彼女と目が合った。きっとオズウェルに近しい彼女には分かっているのだろう。ヒューバートがそう簡単に外出できない理由が。暫し考えていた彼女は、だがメグに向き直って答える。
「旦那様に聞いてきますから、お待ちください」
「はあーい」
また間延びした返事を寄越すメグに、今度は表情を変えず踵を返して行ってしまった。廊下の先まで行って階段を降りる音が聞こえてきてから、とんとんと肩を叩かれる。
「なんちゃって。待てるわけないよね」
「え?」
振り返ると、メグと目が合った。彼女は悪戯を思いついた兄と同じ顔をして、笑っている。嫌な予感がした。
「おいで。いいとこ連れてってあげる」
ぐっとヒューバートの腕を掴み、メグは駆け出した。あまりの勢いに抵抗もできず、引かれるがまま、ヒューバートも走り出すしかなかった。
「ちょ、ちょっと待って、メグ!?」
先ほどのメイドが向かって方向とは逆を行き、足がもつれそうになるのを必死でこらえる。向かった先は空き部屋で、その窓を勢い良く開けたメグはそのまま、つまりヒューバートの腕を掴んだまま飛び降りる。悲鳴すら出なかった。飛び降りた先は植え込みになっていて、落下の衝撃は思ったほどではなかったし、時間にしても然程長い間落ちていたわけではなさそうだ。だが、植え込みの葉を頭に乗せて心底可笑しそうに笑うメグの前で、悲鳴も聞かせられないし、泣き顔も見せられないと思った。
#TOG #-Pre-Episode
机の上に置かれた本は、初めて養父から与えられたものだった。ストラタ史、と書かれたその表紙を開くことは、まだできていない。何でこんなところにいるんだろう、と何度も思った。本当なら、バロニアから戻ってくる先はラントの家だったはずなのに。バロニアに到着した途端、父はヒューバートを養子に出す、と唐突にも突き放した。厳しい父の表情に、何の異論も出せなかった。せめて最後に母と兄に会いたいと言っても、それは無情にも却下されてしまった。母も、兄も、ヒューバートが養子へ行くということは承知しているのだ、と父は言った。
ぼくは、ラントにいらない子供だったんだ。結論は出ているはずなのに、そこから先の一歩が出ない。
「ヒュー君! ヒューバートくーん!!」
ぼんやりと表紙だけを眺めているヒューバートに、激しいノックの音と無遠慮な声が襲いかかってくる。あまりの音にびくりと肩を震わせたが、その声には聞き覚えがあった。バロニアからここに至るまでの道中、鬱陶しいくらいに話しかけてきた女の子だ。人懐こくて、明るい笑顔の女の子で、どこか故郷の兄に似ている気がして無下にはできなかった。それが、彼女をまた懐かせているのかもしれなかったが。そういえば、名前もちゃんと聞いていた。確か、オズウェルの近所に住んでいるベレスフォード卿の一人娘で、メグと言っていたような気がする。緊張しながらドアに近づき、脳内でメグ、メグ、と繰り返す。
「あ、いたいた。何だよー、いるならちゃんとお返事してちょうだい」
にこりと笑ったメグは、ぽんぽんとヒューバートの肩を叩く。無遠慮に触れて来る彼女に、また兄を思い出した。
「うん……」
「元気ないね。大丈夫?」
「うん」
俯いたヒューバートの顔を覗き込んで来るメグから、逃れるようにして顔を逸らす。すると、偶々通りがかったメイドの一人と目が合った。年若いメイドだが、それなりに年数をこなしているらしい。主にヒューバートの世話係をしてくれている女性だ。彼女はメグの方を見て、はあ、と溜め息を吐く。両腕に抱えていたシーツを持ったまま、メグの方へ近づいて来た。
「こら、メグお嬢様! あまりご養子のお部屋に勝手に入られては困りますよ」
まるで母親のように叱りつけた彼女に、俄に焦る。オズウェルの使用人が、他所の家のお嬢様にこんなに親しげにしていて大丈夫なのだろうか。だが、叱られたメグの方は至って平気な顔で、軽く頭を下げている。
「ごめん、ごめん。でもおじさまの許可はもらったよ」
「旦那様がお許しになったらよろしいですけど……悪戯はほどほどにしてくださいませね」
「はあーい」
間延びした返事に、メイドは顔をしかめていた。
「あ、ねえ」
「何ですか?」
踵を返しかけていたメイドを呼び止めたメグは、早口に訊ねる。
「ヒューバート君、連れ出してもいい?」
一瞬、また彼女と目が合った。きっとオズウェルに近しい彼女には分かっているのだろう。ヒューバートがそう簡単に外出できない理由が。暫し考えていた彼女は、だがメグに向き直って答える。
「旦那様に聞いてきますから、お待ちください」
「はあーい」
また間延びした返事を寄越すメグに、今度は表情を変えず踵を返して行ってしまった。廊下の先まで行って階段を降りる音が聞こえてきてから、とんとんと肩を叩かれる。
「なんちゃって。待てるわけないよね」
「え?」
振り返ると、メグと目が合った。彼女は悪戯を思いついた兄と同じ顔をして、笑っている。嫌な予感がした。
「おいで。いいとこ連れてってあげる」
ぐっとヒューバートの腕を掴み、メグは駆け出した。あまりの勢いに抵抗もできず、引かれるがまま、ヒューバートも走り出すしかなかった。
「ちょ、ちょっと待って、メグ!?」
先ほどのメイドが向かって方向とは逆を行き、足がもつれそうになるのを必死でこらえる。向かった先は空き部屋で、その窓を勢い良く開けたメグはそのまま、つまりヒューバートの腕を掴んだまま飛び降りる。悲鳴すら出なかった。飛び降りた先は植え込みになっていて、落下の衝撃は思ったほどではなかったし、時間にしても然程長い間落ちていたわけではなさそうだ。だが、植え込みの葉を頭に乗せて心底可笑しそうに笑うメグの前で、悲鳴も聞かせられないし、泣き顔も見せられないと思った。
#TOG #-Pre-Episode