立入禁止、という札書きを見てからどのくらい経っただろうか。ここは居住区から少し離れた地区にある、元居住区という区域らしい。裏道をいくつも通ってきたせいもあり、土地勘のないヒューバートにはどういう経路を辿ったのか見当すらついていなかった。
「こ、ここって……入っちゃダメなところなんじゃ……」
腕を握ったままのメグにおずおずと訊ねると、彼女はあっけらかんとして言い放った。
「いーの、いーの。私たち子供なんだから、軍人さんに見つかっても怒られるだけだし」
「そりゃ、そうだけど……」
辺りをきょろきょろと見回すと、崩れかけた住宅がそこらかしこに放置されていた。まるで廃墟であり、ユ・リベルテの中心街と比べると別世界だ。こちらには煇石の恩恵は行き届いていないらしく、屋敷の庭に植えられていたであろう草木の枯れ果てた姿が、散見される。石畳も所々剥がれ落ちていて、歩くと砂が舞う。立入禁止の理由は知らないが、好き好んで立ち入るような場所ではないだろう、とヒューバートは思った。
砂漠は嫌いだ。暑いし、砂は舞うし、それに何より、嫌な思い出がつきまとう。ウィンドルを思い出してしまう。石畳の剥がれかけた場所を踏みしめ、ぐっと奥歯を噛んだ。
「おいで、こっちよ」
「う、うん……」
知ってか知らずか、メグが腕を引いた。
「こっちの方に行くとね……」
ずんずんと行ってしまうメグに合わせて歩幅を調整する。少しだけメグの方が背が高いせいか、ヒューバートの方が早足になってしまった。気をつけていないと足を取られそうだ。石畳が完全に剥がれてしまった道が続き、砂に足を取られて転びそうになった頃、メグはようやく足を止めた。
「ほら! お花」
砂だらけの地面から目を外し、メグの方へ向ける。にこりと笑った彼女の後ろには、鮮やかな緑が広がっていた。砂漠とオアシスの境界線は、まるで描いたようにきれいに引かれている。不思議な光景だった。
「これ……どうして……」
ストラタには緑が少ない。砂漠地帯にも所々オアシスと呼べる程度の緑はあるが、草木が茂っている場所というのはなかった。ユ・リベルテ内の屋敷に、人工的に手入れを施した庭というものはあるが、その位でしかお目にかかれない光景だ。それでも、まるで花畑のようなこの場所とはまったく違う。
「分かんないけど、ここだけお花が咲いてるの。きれいでしょ?」
「うん……ラントの、花畑みたい……」
言ってから後悔した。これでは、まるで故郷が恋しいような言い様だ。
「そっか。ヒュー君はラントから来たんだっけ? 初めて会ったのがバロニアだったから、すっかり忘れてたよ」
ややあって、メグが言う。言い方はそうではないが、まるで取り繕うようなタイミングだった。単純で、明け透けな彼女に、そんな技量はないとは思うが。
「私、バロニアには行ったけど、ラントは行かなかったから……今度行ってみたいなあ。どんなとこ?」
訊ねられると、懐かしい気持ちになった。然程前の話ではないのだが。
「そうだなあ……いっぱい探検するところがあるよ。街道には魔物が出るけど、兄さんはいつも街道まで出ちゃうから、よく父さんに怒られてたなあ。でも、街道を抜けた裏山には、ここよりきれいなお花畑があって」
「うん?」
一度言葉を切ると、先を急かすようにメグが首を傾げていた。
「うん……そこでね、兄さんと二人で行って……女の子に会ったことがあるんだ」
女の子、とメグが反芻する。一度頷くと、彼女は何か企んだような笑みを浮かべた。
「へえ~」
「な、なに?」
「その女の子、もしかしてヒュー君の好きな人とか?」
その質問に、ラントのシェリアを思い浮かべた。やはり、女の子は大抵そういう話を好むものなのだろうか。
「そ、そういうんじゃないよ。でも……」
慌てて手を振り、ラントの花畑で出会った少女を脳裏に浮かべる。記憶のない彼女に兄がソフィと名付けて、それから色々と見て回って、魔物だって力を合わせて一緒に倒した。一緒に過ごした時間は、決して長くなかったし、それに別離の瞬間だって潔いものでもなかった。
「ぼくは、何もできなかったんだ……その子が戦っているのに、ぼくは……」
「そう……」
気づいた時には、メグはがっくりと肩を落としていた。別に聞かせなくても良い話までしてしまっていたらしい。自分のことのように表情に出して項垂れる彼女に、悪い事をしてしまった、と後悔する。
「なんか、ごめんね。嫌な事、思い出させちゃったかな」
「ううん、そんなことない」
慌てて首を振る。
「ありがとう。ぼくを励まそうとしてくれたんでしょ? それは分かるから」
にこりとした彼女には、だが先ほどまでの満面の笑みは戻らなかった。多少なりとも、落ち込んでいるのが伝わってしまったらしい。オズウェルの紹介で出会った彼女は、ヒューバートよりも一つ年下だった。それなのに色々と考えて話しているような節もある。かと思えば兄のように無邪気な一面もあって、ヒューバートは彼女の真意を計りかねていた。確かに物言いやタイミングには慎重ではあるが、きっと彼女は嘘がつけないタイプなのだろう。砂漠の花畑を見つめる彼女の横顔を見て、そう思った。
「おい、ガキども」
不意にかけられた声に、メグと同時に背後を向く。背の高い、仕立ての良い服を着た男がそびえ立っているのが見える。色黒な上に帽子まで被っているから顔までは見えなかったが、ぼさぼさの髪が帽子からはみ出ているのは分かった。
「わっ、しまった! 軍人さんだ!!」
「えっ!?」
大仰な声を上げるメグにつられて、こちらも大きな声を出してしまう。舌打ちした軍人の男は、すぐさまメグの腹目がけて蹴りを入れる。呻いた彼女は、そのままぐったりとしてしまった。崩れ落ちる彼女を見ていると、あの時を思い出す。気を失った自分を、ソフィの最後を看取れなかった自分を。
「大人しくしてろよ」
足に乗ったメグをゴミでも払うようにして飛ばした男を、睨み上げる。ヒューバートよりも大分背の高い男だ。それに、力だって及ばない。今ここで何をしても、彼女の二の舞になることは避けられそうにない。だったら、隙をつくしかなさそうだ。
「ちょ、ちょっと待ってください! どうして、こんなこと……」
取り繕ったヒューバートには構わず、男はメグにしたのと同じように蹴りを飛ばして来る。避けようと思った時には、もう遅かった。痛みと衝撃で、目の前が霞んでいく。
#TOG #-Pre-Episode
「こ、ここって……入っちゃダメなところなんじゃ……」
腕を握ったままのメグにおずおずと訊ねると、彼女はあっけらかんとして言い放った。
「いーの、いーの。私たち子供なんだから、軍人さんに見つかっても怒られるだけだし」
「そりゃ、そうだけど……」
辺りをきょろきょろと見回すと、崩れかけた住宅がそこらかしこに放置されていた。まるで廃墟であり、ユ・リベルテの中心街と比べると別世界だ。こちらには煇石の恩恵は行き届いていないらしく、屋敷の庭に植えられていたであろう草木の枯れ果てた姿が、散見される。石畳も所々剥がれ落ちていて、歩くと砂が舞う。立入禁止の理由は知らないが、好き好んで立ち入るような場所ではないだろう、とヒューバートは思った。
砂漠は嫌いだ。暑いし、砂は舞うし、それに何より、嫌な思い出がつきまとう。ウィンドルを思い出してしまう。石畳の剥がれかけた場所を踏みしめ、ぐっと奥歯を噛んだ。
「おいで、こっちよ」
「う、うん……」
知ってか知らずか、メグが腕を引いた。
「こっちの方に行くとね……」
ずんずんと行ってしまうメグに合わせて歩幅を調整する。少しだけメグの方が背が高いせいか、ヒューバートの方が早足になってしまった。気をつけていないと足を取られそうだ。石畳が完全に剥がれてしまった道が続き、砂に足を取られて転びそうになった頃、メグはようやく足を止めた。
「ほら! お花」
砂だらけの地面から目を外し、メグの方へ向ける。にこりと笑った彼女の後ろには、鮮やかな緑が広がっていた。砂漠とオアシスの境界線は、まるで描いたようにきれいに引かれている。不思議な光景だった。
「これ……どうして……」
ストラタには緑が少ない。砂漠地帯にも所々オアシスと呼べる程度の緑はあるが、草木が茂っている場所というのはなかった。ユ・リベルテ内の屋敷に、人工的に手入れを施した庭というものはあるが、その位でしかお目にかかれない光景だ。それでも、まるで花畑のようなこの場所とはまったく違う。
「分かんないけど、ここだけお花が咲いてるの。きれいでしょ?」
「うん……ラントの、花畑みたい……」
言ってから後悔した。これでは、まるで故郷が恋しいような言い様だ。
「そっか。ヒュー君はラントから来たんだっけ? 初めて会ったのがバロニアだったから、すっかり忘れてたよ」
ややあって、メグが言う。言い方はそうではないが、まるで取り繕うようなタイミングだった。単純で、明け透けな彼女に、そんな技量はないとは思うが。
「私、バロニアには行ったけど、ラントは行かなかったから……今度行ってみたいなあ。どんなとこ?」
訊ねられると、懐かしい気持ちになった。然程前の話ではないのだが。
「そうだなあ……いっぱい探検するところがあるよ。街道には魔物が出るけど、兄さんはいつも街道まで出ちゃうから、よく父さんに怒られてたなあ。でも、街道を抜けた裏山には、ここよりきれいなお花畑があって」
「うん?」
一度言葉を切ると、先を急かすようにメグが首を傾げていた。
「うん……そこでね、兄さんと二人で行って……女の子に会ったことがあるんだ」
女の子、とメグが反芻する。一度頷くと、彼女は何か企んだような笑みを浮かべた。
「へえ~」
「な、なに?」
「その女の子、もしかしてヒュー君の好きな人とか?」
その質問に、ラントのシェリアを思い浮かべた。やはり、女の子は大抵そういう話を好むものなのだろうか。
「そ、そういうんじゃないよ。でも……」
慌てて手を振り、ラントの花畑で出会った少女を脳裏に浮かべる。記憶のない彼女に兄がソフィと名付けて、それから色々と見て回って、魔物だって力を合わせて一緒に倒した。一緒に過ごした時間は、決して長くなかったし、それに別離の瞬間だって潔いものでもなかった。
「ぼくは、何もできなかったんだ……その子が戦っているのに、ぼくは……」
「そう……」
気づいた時には、メグはがっくりと肩を落としていた。別に聞かせなくても良い話までしてしまっていたらしい。自分のことのように表情に出して項垂れる彼女に、悪い事をしてしまった、と後悔する。
「なんか、ごめんね。嫌な事、思い出させちゃったかな」
「ううん、そんなことない」
慌てて首を振る。
「ありがとう。ぼくを励まそうとしてくれたんでしょ? それは分かるから」
にこりとした彼女には、だが先ほどまでの満面の笑みは戻らなかった。多少なりとも、落ち込んでいるのが伝わってしまったらしい。オズウェルの紹介で出会った彼女は、ヒューバートよりも一つ年下だった。それなのに色々と考えて話しているような節もある。かと思えば兄のように無邪気な一面もあって、ヒューバートは彼女の真意を計りかねていた。確かに物言いやタイミングには慎重ではあるが、きっと彼女は嘘がつけないタイプなのだろう。砂漠の花畑を見つめる彼女の横顔を見て、そう思った。
「おい、ガキども」
不意にかけられた声に、メグと同時に背後を向く。背の高い、仕立ての良い服を着た男がそびえ立っているのが見える。色黒な上に帽子まで被っているから顔までは見えなかったが、ぼさぼさの髪が帽子からはみ出ているのは分かった。
「わっ、しまった! 軍人さんだ!!」
「えっ!?」
大仰な声を上げるメグにつられて、こちらも大きな声を出してしまう。舌打ちした軍人の男は、すぐさまメグの腹目がけて蹴りを入れる。呻いた彼女は、そのままぐったりとしてしまった。崩れ落ちる彼女を見ていると、あの時を思い出す。気を失った自分を、ソフィの最後を看取れなかった自分を。
「大人しくしてろよ」
足に乗ったメグをゴミでも払うようにして飛ばした男を、睨み上げる。ヒューバートよりも大分背の高い男だ。それに、力だって及ばない。今ここで何をしても、彼女の二の舞になることは避けられそうにない。だったら、隙をつくしかなさそうだ。
「ちょ、ちょっと待ってください! どうして、こんなこと……」
取り繕ったヒューバートには構わず、男はメグにしたのと同じように蹴りを飛ばして来る。避けようと思った時には、もう遅かった。痛みと衝撃で、目の前が霞んでいく。
#TOG #-Pre-Episode