#TOX #アルヴィン #ネームレス #現代パラレル
全戦全敗という輝かしい記録を打ち立てた時は、さすがの俺も多少はへこんだ。多少、というか大分、かなり、どっぷりとへこんでいた。そもそも就職に失敗したから起業するだとか、大学時代の悪友集めて酔っ払っていたにしても頭が悪すぎる。大した理念も理想もない、薄っぺらな人間に出す金なんか、今時銀行だって持ち合わせちゃいない。そんなことは最初から分かっていた。なのに、今日で三日間フルに銀行回りをしていたというんだから、自分でも何をやってるんだと呆れてしまう。さて、これからどうするか、と茜色の空を見上げて考える。安い居酒屋が開く時間までそうはかからないが、今は酒なんて飲みたい気分じゃない。どっちかというと、可愛い女の子にでも優しく慰めてもらって「大丈夫、あなたならできる」と自信までつけてもらいたかった。それも、営業ではなく、本心から。かといって心当たりがあるわけでもない。つい先日、その起業を巡って諍いになり、勢いで別れを宣言してしまったばかりだった。その現実に気づいたところで盛大なため息を吐き、適当な店のドアを押す。押してから気付いたが、どうやら喫茶店らしい。漫画かアニメでしか見たことのないような、無駄な装飾品をゴテゴテとつけたウェイトレスが無愛想に「いらっしゃい」と低く唸る。顔は可愛いのに、その声と態度が残念だ。
「メイド喫茶?」
「違う」
思わず訊ねた言葉は、半ばでばっさりと遮られる。古くさい調度品だとか、地味で渋い色合いのソファとテーブルだとか、確かにメイド喫茶というものとは違う。行ったことがないから、イメージだが。
「何名様?」
明らかなことをわざわざ訊ねる神経が信じられない。無愛想なウェイトレスを軽く睨む。
「お一人様」
「だよね〜」
あはは、と笑った彼女は「こちらへどうぞ」の一言もつけずにすたすたと歩いて行ってしまった。別に席へ案内してくれるわけじゃないらしい。カウンターの、恐らく彼女の定位置と思しき椅子に腰掛け、パチンコ雑誌というこれまた似つかわしくないチョイスの雑誌を広げて読み始めた。適当なところへ座っていいのだろうか。恐る恐るカウンター近くのボックス席に腰掛ける。腰掛けてから気づいたが、この店には俺以外の客は見当たらない。さらにメニューも何もないので店員を呼ぼうとしたが、店員すらさっきの彼女以外に見当たらない。嘘だろ、と小さく呟いてしまった。
「メニュー、ないよ」
「は?」
俺の小さなつぶやきを聞き逃さなかったのか、彼女は雑誌から目を離すことなく声をかけてきた。
「うち、コーヒーしか出ないの。そういうことになってるから」
そう言われれば、「そうですか」と言うしかなくなる。まあ、これはこれで気楽だ。ミルクの有無やら、ホイップのオマケやら、シロップの種類やら、際限なく指定できるコーヒー店では何を頼むか迷うところだが、コーヒーしか出ないのなら迷うことなくコーヒーだろう。そういう場合、言わなくても持ってくるのが普通だが、この店はちょっと曲者だ。とりあえず「コーヒー一つ」とオーダーしてみた。すると、彼女は雑誌をカウンターへ置いて無言で引っ込んでしまった。一々無愛想なウェイトレスだ。
ほどなくして出てきたコーヒーは、まるでインスタントコーヒーにお湯を注いだだけのような香りがした。別に俺はコーヒーに詳しいわけでもうるさいわけでもないが、インスタントというのはまるで別で、明らかにインスタントであるとしか言い様のない香りと味がする。加えて、カップの中に溶け切っていない粒が残っていた。普通、あっという間に溶けてしまうものだが、多量に入れるとか、例えばインスタントコーヒーの瓶の中に直接お湯を注ぐだとか、そういうことをすればあるいは何粒か残ってしまうかもしれない。そういう状態だからこそ、一瞬でこれがインスタントコーヒーだということが分かったくらいだ。何をしたか恐ろしくて聞けないし、口を付けるのも怖い。
「あの」
去ろうとしたウェイトレスを咄嗟に引き止める。
「雑誌読んでていいんで、俺の向かいに座っててくれない?」
「はあ?」
怪訝に眉を寄せた彼女は、だが少し考えたように首を捻り、さっさと行ってしまった。正直、誰でも良かった。今は一人で考え事なんかできない。他人でもいい、誰かが同じ空間にいて、視界に入っていてくれさえすれば良かった。そんなことは彼女に関係ないし、断られることも承知の上だったが。
「お兄さんさ」
向かいからの声に、慌てて伏せてしまった顔を上げる。ウェイトレスの彼女は、相変わらずの無愛想でこちらを見ていた。
「コーヒー、冷めちゃってるんで淹れ直そうか?」
彼女が指差したのは、ドロドロのコーヒーだ。淹れ直すにしてもまた同じものが出てきては困る。
「いや、いいよ」
「そう」
つまらなさそうに顔をしかめ、彼女はだがこちらを見たままだった。
「人いないし、話くらいなら聞くよ」
意外にも、そう言った彼女はにこりと笑った。さっきまで無愛想だったのに。そうか、つまり彼女は
「おたく、案外お人好しだったりしねえ?」
訊ねると、無愛想だった彼女はきょとんとして、それからむっと頬を膨らませる。まるで幼い少女のような仕草に、思わず吹き出してしまった。
「ったく! 女からかって楽しむとか、ろくな趣味じゃないし!」
「ああ、悪い、悪い。悪かったって!」
がたがたと音を立ててソファから立ち上がったウェイトレスのヒラヒラとしたスカートの裾を片手で捕まえ、片手で許しを請う。さすがに頬は膨らんでいなかったが、眉は寄せられたままだ。このままの状態で聞いてもらう話は、さすがになかった。どうしようかと考えあぐねていると、ふとカップが目に入る。ウェイトレスを掴んでいた手を離し、意を決して一気に飲み干す。意外と苦くはなかった。
「おかわり」
どろどろとした感触が食道を降りて行くのが分かる。呆気に取られていたウェイトレスの彼女は「バカじゃないの」と呟いてから、また笑った。俺からカップを引ったくった彼女を見送ってから、あまりの気持ち悪さに後悔し、それから満足した。いつの間にか、全戦全敗の悔しさはどこかへ飛んでいってしまったようだ。
全戦全敗という輝かしい記録を打ち立てた時は、さすがの俺も多少はへこんだ。多少、というか大分、かなり、どっぷりとへこんでいた。そもそも就職に失敗したから起業するだとか、大学時代の悪友集めて酔っ払っていたにしても頭が悪すぎる。大した理念も理想もない、薄っぺらな人間に出す金なんか、今時銀行だって持ち合わせちゃいない。そんなことは最初から分かっていた。なのに、今日で三日間フルに銀行回りをしていたというんだから、自分でも何をやってるんだと呆れてしまう。さて、これからどうするか、と茜色の空を見上げて考える。安い居酒屋が開く時間までそうはかからないが、今は酒なんて飲みたい気分じゃない。どっちかというと、可愛い女の子にでも優しく慰めてもらって「大丈夫、あなたならできる」と自信までつけてもらいたかった。それも、営業ではなく、本心から。かといって心当たりがあるわけでもない。つい先日、その起業を巡って諍いになり、勢いで別れを宣言してしまったばかりだった。その現実に気づいたところで盛大なため息を吐き、適当な店のドアを押す。押してから気付いたが、どうやら喫茶店らしい。漫画かアニメでしか見たことのないような、無駄な装飾品をゴテゴテとつけたウェイトレスが無愛想に「いらっしゃい」と低く唸る。顔は可愛いのに、その声と態度が残念だ。
「メイド喫茶?」
「違う」
思わず訊ねた言葉は、半ばでばっさりと遮られる。古くさい調度品だとか、地味で渋い色合いのソファとテーブルだとか、確かにメイド喫茶というものとは違う。行ったことがないから、イメージだが。
「何名様?」
明らかなことをわざわざ訊ねる神経が信じられない。無愛想なウェイトレスを軽く睨む。
「お一人様」
「だよね〜」
あはは、と笑った彼女は「こちらへどうぞ」の一言もつけずにすたすたと歩いて行ってしまった。別に席へ案内してくれるわけじゃないらしい。カウンターの、恐らく彼女の定位置と思しき椅子に腰掛け、パチンコ雑誌というこれまた似つかわしくないチョイスの雑誌を広げて読み始めた。適当なところへ座っていいのだろうか。恐る恐るカウンター近くのボックス席に腰掛ける。腰掛けてから気づいたが、この店には俺以外の客は見当たらない。さらにメニューも何もないので店員を呼ぼうとしたが、店員すらさっきの彼女以外に見当たらない。嘘だろ、と小さく呟いてしまった。
「メニュー、ないよ」
「は?」
俺の小さなつぶやきを聞き逃さなかったのか、彼女は雑誌から目を離すことなく声をかけてきた。
「うち、コーヒーしか出ないの。そういうことになってるから」
そう言われれば、「そうですか」と言うしかなくなる。まあ、これはこれで気楽だ。ミルクの有無やら、ホイップのオマケやら、シロップの種類やら、際限なく指定できるコーヒー店では何を頼むか迷うところだが、コーヒーしか出ないのなら迷うことなくコーヒーだろう。そういう場合、言わなくても持ってくるのが普通だが、この店はちょっと曲者だ。とりあえず「コーヒー一つ」とオーダーしてみた。すると、彼女は雑誌をカウンターへ置いて無言で引っ込んでしまった。一々無愛想なウェイトレスだ。
ほどなくして出てきたコーヒーは、まるでインスタントコーヒーにお湯を注いだだけのような香りがした。別に俺はコーヒーに詳しいわけでもうるさいわけでもないが、インスタントというのはまるで別で、明らかにインスタントであるとしか言い様のない香りと味がする。加えて、カップの中に溶け切っていない粒が残っていた。普通、あっという間に溶けてしまうものだが、多量に入れるとか、例えばインスタントコーヒーの瓶の中に直接お湯を注ぐだとか、そういうことをすればあるいは何粒か残ってしまうかもしれない。そういう状態だからこそ、一瞬でこれがインスタントコーヒーだということが分かったくらいだ。何をしたか恐ろしくて聞けないし、口を付けるのも怖い。
「あの」
去ろうとしたウェイトレスを咄嗟に引き止める。
「雑誌読んでていいんで、俺の向かいに座っててくれない?」
「はあ?」
怪訝に眉を寄せた彼女は、だが少し考えたように首を捻り、さっさと行ってしまった。正直、誰でも良かった。今は一人で考え事なんかできない。他人でもいい、誰かが同じ空間にいて、視界に入っていてくれさえすれば良かった。そんなことは彼女に関係ないし、断られることも承知の上だったが。
「お兄さんさ」
向かいからの声に、慌てて伏せてしまった顔を上げる。ウェイトレスの彼女は、相変わらずの無愛想でこちらを見ていた。
「コーヒー、冷めちゃってるんで淹れ直そうか?」
彼女が指差したのは、ドロドロのコーヒーだ。淹れ直すにしてもまた同じものが出てきては困る。
「いや、いいよ」
「そう」
つまらなさそうに顔をしかめ、彼女はだがこちらを見たままだった。
「人いないし、話くらいなら聞くよ」
意外にも、そう言った彼女はにこりと笑った。さっきまで無愛想だったのに。そうか、つまり彼女は
「おたく、案外お人好しだったりしねえ?」
訊ねると、無愛想だった彼女はきょとんとして、それからむっと頬を膨らませる。まるで幼い少女のような仕草に、思わず吹き出してしまった。
「ったく! 女からかって楽しむとか、ろくな趣味じゃないし!」
「ああ、悪い、悪い。悪かったって!」
がたがたと音を立ててソファから立ち上がったウェイトレスのヒラヒラとしたスカートの裾を片手で捕まえ、片手で許しを請う。さすがに頬は膨らんでいなかったが、眉は寄せられたままだ。このままの状態で聞いてもらう話は、さすがになかった。どうしようかと考えあぐねていると、ふとカップが目に入る。ウェイトレスを掴んでいた手を離し、意を決して一気に飲み干す。意外と苦くはなかった。
「おかわり」
どろどろとした感触が食道を降りて行くのが分かる。呆気に取られていたウェイトレスの彼女は「バカじゃないの」と呟いてから、また笑った。俺からカップを引ったくった彼女を見送ってから、あまりの気持ち悪さに後悔し、それから満足した。いつの間にか、全戦全敗の悔しさはどこかへ飛んでいってしまったようだ。