何も見えない見たくない

#TOG #アスベル #デフォルトネームなし
何も見えない見たくない
 昔から、そうだった。嫌なことは見なければいい。知らなければ、なかったことと同じになる。だから、そういうものは見てこないように気を使っていた。それでも事故というのはあるもので、知りたくなかったことを知ってしまった経験だってある。でも、だからといって全てを知ろうとは思わなかった。やっぱり、知りたくないことは知らないままでいい。見えないままで良かった。
 それが、ナマエなりに自分を守る方法だった。

「どうした? ナマエ。ぼーっとして」
 目の前で、きょろきょろと瞳が動く。驚いて僅かに身を引くと、背もたれが小さな音を立てた。腕にトレイが当たって、フォークが鳴る。そうだった、食事中だった。
「あ? え? いや」
 慌てて頭の中を整理する。目の前の瞳は同期の青年だ。名前はアスベル。姓がラントだと言うから、彼はラント家の嫡子だということが分かっていた。それが同期――騎士学校の訓練生だというから、最初は驚いた。が、確かに彼は騎士になろうと奮闘している同期だちと何ら変わりのない青年であって、初めこそ反感を抱いたものの、それはすぐに落ち着いてしまった。
「ごめん、何か話してた? 考え事してて」
「そうか。いや、特に重要なことではないんだが」
 アスベルは向かいの椅子を引いて腰掛ける。どうやら、本当に声をかけてくれただけだったらしい。が、腰を落ち着かせるというのは、また手軽な用事ではなさそうだった。重要なことではない、と言いながら彼の表情はあまり晴れた様子ではない。珍しいな、と思った。
「もしかして、何か相談?」
 統括してそう訊ねる。そうしたものの、半信半疑だ。アスベルに他人に相談するほどの悩みがあるとはナマエにはどうしても思えなかった。
「驚いた。鋭いな」
 目を丸くした彼は、ただでさえ大きな瞳がまた際立っていた。少しだけ苛立つ。
「いや、別に……当て推量ってやつよ。で、何?」
 不機嫌に促すと、彼は言いにくそうに視線を外した。
「その……女子には、何を贈ったら喜ばれるのか、とか」
「ふうん」
 また、意外だ。どうも、この朴念仁が女性に気を使って贈り物をするだなんて、想像できない。また苛立つ。気のないようなふりをした返事が、自分でも分かるほどに滑稽だった。と、同時に一瞬想像した光景を嫌だと感じてしまった。見たくない。それが現実になるところは、見ておきたくないし、知りたくもない。
「一つ、借りを作ってしまったんだ。実地訓練の時に。だから、返しておきたくて」
 尤もらしい理由だ。普通の男なら、取ってつけたような、と頭につけるところだが、アスベルの場合はそうとも限らない。おそらくは、本当に借りを返したいだけなのだろう。それがまた苛立つ。もう、アスベルに対して苛立っているのか、相手の女性に対して苛立っているのかは分からなかった。どうにかしてやりたい、という気持ちは、だがすぐにしぼんでしまう。相手の女性が喜んでいても、悲しんでいても嫌だった。アスベルの行動で一喜一憂する女性を想像するのが、嫌だった。
「そうだなあ、私なら」
ナマエなら?」
 身を乗り出すアスベルに、もったいつけて言ってやる。
「アスベルと一日一緒にいられるだけでいいかも」
 彼は、あからさまにがっかりと肩を落とした。冗談の類だと思ったらしい。半分は違っていないのだが。
「また、からかって遊んでるだろ。もういいよ、他の奴にも聞いてみる」
 諦めたアスベルは、向かいの椅子から立ち上がった。
「アスベル」
「何だ?」
 なんとなく彼を素直に見送るのが惜しくなって声をかけたが、そのアスベルが素直に振り返るので虚を突かれてしまった。少しだけ考えて、やっぱり素直になることにした。
「私に借りを作った時は、さっきので返してよ」
「何言ってるんだよ」
 明らかに冗談で言われていると思われているのだろう。苦笑に呆れを混ぜた彼は、それでもこちらを見ていた。絶対に伝わるはずがない。素直になったところで、彼には絶対に届かない。分かっていたからこそ、今まで言わなかったのに。うっかり口を滑らせたのは、何故だろうか。やはり、女性の話が出たことに焦ったのか。
「まあ、そんなことにはならないよう、気をつける」
 アスベルは、そう言い捨てて踵を返した。想像通りだ。
「ああ、そう」
 視線を食器に落としたのは、見たくなかったからだ。嫌だった。何も届かないのが、何も伝わらないのが、嫌だった。それを思い知らされるのが嫌だった。望まないものは見えないし、見たくはない。それでいいはずだ。そう思っていたはずなのに、先を知りたくなったのは何故だろうか。
 見えないはずの彼の顔が、脳裏に浮かぶ。
#TOG #アスベル #デフォルトネームなし