#TOG #ヒューバート
久々の魔物討伐だった。というのも、ここのところ対人戦が多かったからだ。ラントでは対フェンデル兵であったりウィンドル兵であったり、直近ではライオットピークというのもあったが、あれは競技性が高くて討伐という気がしなかった。故に、昼間は少々はしゃぎすぎてしまったらしい。初めて戦うタイプの魔物相手に、どういった煇術が効果的か、特性は何かと考えているうちに寝損なってしまった。
寝静まったベラニックの宿で、メグはこっそりロビーまで抜け出していた。もちろん暖房機器は動いていない。部屋にあった毛布を拝借してくるまり、窓の外をぼんやりと眺めていた。雪は降っていない。ここのあたりは国境近くということもあって、寒さはそれほどでもないらしい。それにしても、メグにとっては極寒もいいところだ。ラントもなかなか寒いところだと思っていたが、それよりも寒い。
「寝付けないんですか?」
不意に背後からかけられた声に、驚いて短く声をあげる。その拍子にくるまっていた毛布を落としてしまった。徐に振り返ると、毛布のお化けでも見つけたような訝ったヒューバートの視線とかち合う。もちろん、彼は正体を分かった上で声をかけてきたのだが。
「びっくりした……」
小声でため息と共に呟くと、ヒューバートははっとして視線を逸らす。
「すみません、驚かせて」
「いえ……その」
気まずい空気に、メグは慌てて落とした毛布を拾い上げる。
「ここまで寒い地方って来たことがなくて。というか、フェンデルに来るの初めてなんですけど」
先ほどは頭まで毛布を被っていたが、今度は肩までで止めておく。
「寒くて眠れないんですね」
「そんな感じです」
曖昧に濁して笑顔を作ると、ヒューバートはロビーに無造作に置かれていたベンチに腰掛ける。窓際はやはり寒かったのか、メグに気を使ったのか。どちらにせよ気まずい空気には耐えられないので、メグもそれに倣う。彼の横に腰を下ろすと、微かに顔を背けられた気がした。
「ぼくも似たような感じです」
「へえ」
よく見ると、彼の格好は昼間と同じで、ということは寝るつもりがなかったようにも思える。何か気にかかることでもあったのか、それとも言葉通りなのかもしれない。
「何だか……少佐も緊張とかするんですねえ」
「はあ?」
咄嗟に聞き返してきたヒューバートと至近距離で視線が合う。普段は、特にメグが軍人となってからは、こうして顔を合わせる機会も減っていたな、とぼんやり思った。久々に見た彼の顔は、以前と変わらないようでいて全然違う人のようでもある。上官として接しているせいか、手の届かないところにいる人、という感覚もあった。普段とは違う状況に緊張なんてするような人ではないような気がしていた。
「軍事行動には慣れてるから、滅多なことじゃ緊張とかしないかと思ってた」
軽く指摘すると、ついと視線を逸らされた。
「フェンデルは初めて来たわけではないですけど」
小さく息を吐いてから、彼は続ける。
「この先は行くことがないですからね」
「ああ、高原」
フェンデル高原のことか、と得心した。ストラタの軍人にとって、フェンデル高原は曰く付きの場所でもあった。帝都ザヴェートに近いのだから、当たり前といえば当たり前だ。嫌でも、ここが敵国だと思い知らされる。
「多少は緊張もしますよ。部下も預かっているわけだし」
「足を引っ張らないように頑張ります」
「そうしてください」
苦笑を混じえて冗談のつもりだったが、意外と真面目な調子で返ってきた。
「国内での戦闘とは訳が違います。もちろん、ウィンドルとも。フェンデルでは何がおきてもおかしくはないんです。現にラントへ侵攻してきたでしょう」
「はい」
「ぼくも君も、何があっても不思議じゃない」
焦ったような、怒っているような、今にも泣き出しそうな、不思議な表情のヒューバートの横顔を、思わず凝視してしまった。この顔は見たことがある。もっと彼が小さかった頃、もっと心情を素直に出していた頃のことだ。あの頃は故郷が恋しかったのだとばかり思っていたが、今考えると違うような気がする。10年間一緒に過ごした家族と離れ、土地も文化も知らない異国に放り投げられ、敵も味方もよく分からない中で見せた表情だ。きっと、不安だったに違いない。
そうか、今もまた彼は不安に駆られているのか。
それは何もヒューバートだけではない。メグもまた、敵国に潜入しているという事実に不安がないわけではなかった。尤も、ヒューバートの感じているものよりは漠然としているだろうが。
メグはベンチから徐に立ち上がり、ヒューバートの正面でしゃがみ込む。毛布にくるまったままで彼の手を自分の手で包み込むようにして握った。冷気に当てられていたであろうヒューバートの手は、驚くほど冷たかった。
「何ですか?」
怪訝な声を見上げる。
「暖かいでしょ」
「はあ」
困惑したように目を泳がせ、ヒューバートはついに視線だけ外した。
「体温くらいは覚えていてほしくて。何があるか分かりませんからね」
言って自覚する。メグの感じているものは不安ではなく、もっと分かりやすい恐怖だ。目の前から彼がいなくなったら、と考えるだけで身が凍る。
「そんなの」
小さくつぶやいたヒューバートは、ぱっとメグの手を払った。
「昔から、嫌というくらい知っていますから」
ついに顔ごと逸らされて、彼の表情は見えない。何となくこうなる気はしていたので、諦めてメグは苦笑する。
「そうでした」
立ち上がると、今度はヒューバートを見下ろす形になった。
「だから、ないと困るんです」
肩からずり落ちた毛布を直している最中、見上げるヒューバートの表情がようやく見えた。さっきより幾分分かりやすい、不安そうな顔だ。
「大丈夫」
少し震える声を誤魔化すようにして、少しだけ声を張った。
「私は、あなたから離れないから」
それは、宣言だとか慰めだとかではなくて、メグの願望だ。確証がないからこそ、強く願ってしまう。同時にもう一つ、命を落とすのであれば彼の方であってほしくないと、更に強く願った。
「寝ます」
やおら立ち上がったヒューバートを、今度はメグが見上げる。
「え? もういいんですか?」
「もう、暖まったので」
「ふうん?」
確かに、顔色が良いような気はした。薄明かりなので、あまりはっきりとはしないが。表情は相変わらず険しいままで、ヒューバートは踵を返してずんずんと行ってしまう。
「おやすみなさい」
ついに小さくなった彼の背中に、慌てて声をかけた。
「おやすみ」
小さく、短く、それだけ返してくる。ついに彼が視界から消えると、急に寒くなってきたような気がした。
「私は、なかなか暖まらないなあ」
一人きりの空間に、冷たく響く。妙な気分だ。身を挺して彼を守るなんて覚悟はとっくに決まっていたと思っていたのに、甘かったようだ。
「寒いのは、嫌だな」
窓の外に目をやると、ちらほらと白いものが浮遊していた。身震いをして、慌てて毛布を頭まで被る。いくらそうしていても暖まることはないだろうが、それでも今はそうするしかなかった。
久々の魔物討伐だった。というのも、ここのところ対人戦が多かったからだ。ラントでは対フェンデル兵であったりウィンドル兵であったり、直近ではライオットピークというのもあったが、あれは競技性が高くて討伐という気がしなかった。故に、昼間は少々はしゃぎすぎてしまったらしい。初めて戦うタイプの魔物相手に、どういった煇術が効果的か、特性は何かと考えているうちに寝損なってしまった。
寝静まったベラニックの宿で、メグはこっそりロビーまで抜け出していた。もちろん暖房機器は動いていない。部屋にあった毛布を拝借してくるまり、窓の外をぼんやりと眺めていた。雪は降っていない。ここのあたりは国境近くということもあって、寒さはそれほどでもないらしい。それにしても、メグにとっては極寒もいいところだ。ラントもなかなか寒いところだと思っていたが、それよりも寒い。
「寝付けないんですか?」
不意に背後からかけられた声に、驚いて短く声をあげる。その拍子にくるまっていた毛布を落としてしまった。徐に振り返ると、毛布のお化けでも見つけたような訝ったヒューバートの視線とかち合う。もちろん、彼は正体を分かった上で声をかけてきたのだが。
「びっくりした……」
小声でため息と共に呟くと、ヒューバートははっとして視線を逸らす。
「すみません、驚かせて」
「いえ……その」
気まずい空気に、メグは慌てて落とした毛布を拾い上げる。
「ここまで寒い地方って来たことがなくて。というか、フェンデルに来るの初めてなんですけど」
先ほどは頭まで毛布を被っていたが、今度は肩までで止めておく。
「寒くて眠れないんですね」
「そんな感じです」
曖昧に濁して笑顔を作ると、ヒューバートはロビーに無造作に置かれていたベンチに腰掛ける。窓際はやはり寒かったのか、メグに気を使ったのか。どちらにせよ気まずい空気には耐えられないので、メグもそれに倣う。彼の横に腰を下ろすと、微かに顔を背けられた気がした。
「ぼくも似たような感じです」
「へえ」
よく見ると、彼の格好は昼間と同じで、ということは寝るつもりがなかったようにも思える。何か気にかかることでもあったのか、それとも言葉通りなのかもしれない。
「何だか……少佐も緊張とかするんですねえ」
「はあ?」
咄嗟に聞き返してきたヒューバートと至近距離で視線が合う。普段は、特にメグが軍人となってからは、こうして顔を合わせる機会も減っていたな、とぼんやり思った。久々に見た彼の顔は、以前と変わらないようでいて全然違う人のようでもある。上官として接しているせいか、手の届かないところにいる人、という感覚もあった。普段とは違う状況に緊張なんてするような人ではないような気がしていた。
「軍事行動には慣れてるから、滅多なことじゃ緊張とかしないかと思ってた」
軽く指摘すると、ついと視線を逸らされた。
「フェンデルは初めて来たわけではないですけど」
小さく息を吐いてから、彼は続ける。
「この先は行くことがないですからね」
「ああ、高原」
フェンデル高原のことか、と得心した。ストラタの軍人にとって、フェンデル高原は曰く付きの場所でもあった。帝都ザヴェートに近いのだから、当たり前といえば当たり前だ。嫌でも、ここが敵国だと思い知らされる。
「多少は緊張もしますよ。部下も預かっているわけだし」
「足を引っ張らないように頑張ります」
「そうしてください」
苦笑を混じえて冗談のつもりだったが、意外と真面目な調子で返ってきた。
「国内での戦闘とは訳が違います。もちろん、ウィンドルとも。フェンデルでは何がおきてもおかしくはないんです。現にラントへ侵攻してきたでしょう」
「はい」
「ぼくも君も、何があっても不思議じゃない」
焦ったような、怒っているような、今にも泣き出しそうな、不思議な表情のヒューバートの横顔を、思わず凝視してしまった。この顔は見たことがある。もっと彼が小さかった頃、もっと心情を素直に出していた頃のことだ。あの頃は故郷が恋しかったのだとばかり思っていたが、今考えると違うような気がする。10年間一緒に過ごした家族と離れ、土地も文化も知らない異国に放り投げられ、敵も味方もよく分からない中で見せた表情だ。きっと、不安だったに違いない。
そうか、今もまた彼は不安に駆られているのか。
それは何もヒューバートだけではない。メグもまた、敵国に潜入しているという事実に不安がないわけではなかった。尤も、ヒューバートの感じているものよりは漠然としているだろうが。
メグはベンチから徐に立ち上がり、ヒューバートの正面でしゃがみ込む。毛布にくるまったままで彼の手を自分の手で包み込むようにして握った。冷気に当てられていたであろうヒューバートの手は、驚くほど冷たかった。
「何ですか?」
怪訝な声を見上げる。
「暖かいでしょ」
「はあ」
困惑したように目を泳がせ、ヒューバートはついに視線だけ外した。
「体温くらいは覚えていてほしくて。何があるか分かりませんからね」
言って自覚する。メグの感じているものは不安ではなく、もっと分かりやすい恐怖だ。目の前から彼がいなくなったら、と考えるだけで身が凍る。
「そんなの」
小さくつぶやいたヒューバートは、ぱっとメグの手を払った。
「昔から、嫌というくらい知っていますから」
ついに顔ごと逸らされて、彼の表情は見えない。何となくこうなる気はしていたので、諦めてメグは苦笑する。
「そうでした」
立ち上がると、今度はヒューバートを見下ろす形になった。
「だから、ないと困るんです」
肩からずり落ちた毛布を直している最中、見上げるヒューバートの表情がようやく見えた。さっきより幾分分かりやすい、不安そうな顔だ。
「大丈夫」
少し震える声を誤魔化すようにして、少しだけ声を張った。
「私は、あなたから離れないから」
それは、宣言だとか慰めだとかではなくて、メグの願望だ。確証がないからこそ、強く願ってしまう。同時にもう一つ、命を落とすのであれば彼の方であってほしくないと、更に強く願った。
「寝ます」
やおら立ち上がったヒューバートを、今度はメグが見上げる。
「え? もういいんですか?」
「もう、暖まったので」
「ふうん?」
確かに、顔色が良いような気はした。薄明かりなので、あまりはっきりとはしないが。表情は相変わらず険しいままで、ヒューバートは踵を返してずんずんと行ってしまう。
「おやすみなさい」
ついに小さくなった彼の背中に、慌てて声をかけた。
「おやすみ」
小さく、短く、それだけ返してくる。ついに彼が視界から消えると、急に寒くなってきたような気がした。
「私は、なかなか暖まらないなあ」
一人きりの空間に、冷たく響く。妙な気分だ。身を挺して彼を守るなんて覚悟はとっくに決まっていたと思っていたのに、甘かったようだ。
「寒いのは、嫌だな」
窓の外に目をやると、ちらほらと白いものが浮遊していた。身震いをして、慌てて毛布を頭まで被る。いくらそうしていても暖まることはないだろうが、それでも今はそうするしかなかった。