野菜、スパイス、卵、調理器具。紙に書かれた単語を一々確認して買い物をこなす。ダナへ降りてから、というより人間らしい生活を送るようになってからしばらく経つが、買い出しというものには慣れなかった。何せやることが多い上に、考えることも多い。どのくらいの量を買ったらいいのかも、はじめの頃は分かっていなかった。
幾度目かの買い出しで、アイヴィは満足する仕事ができたと評価していた。キサラから渡されたメモは的確だったし、量も項目も完璧に揃えて購入することができた。あとは、渡された金を使い果たさずに買い物を終了することができた。何なら5000ガルドほど余裕がある。きっと、戻ったらキサラに褒められるだろう。紙袋を抱え、帰路に至っている最中だった。既に日が落ちかけているので、小走りに市場を駆け抜ける。
市場の端の方には、嗜好品である酒やら珍味の類を集めた店が出ていた。普段なら素通りするところだが、今回は見知った顔が何やら真剣に商品を吟味している。そういえば、今回の買い出しは量が多いからと二手に分かれていたのを思い出した。とはいえ、彼の方は荷物が少ないようだが。
「何だ。戻らないと思ったら、ここか、テュオ」
背後から声をかけると、テュオハリムはちらりと一瞥をくれただけですぐに商品に視線を戻す。
「すまない、もう少し吟味しておきたい」
一々真面目な奴だ、と考えてから彼の視線を追う。酒瓶のようなもののラベルを真剣に見つめていた。
「酒か?」
「ああ。少し良いのを持っておきたくてね」
「どれも味なんて変わらんだろ」
「そうでもない」
呆れ混じりにため息をつくと、むっとしたように返される。その様子を眺めていたのか、酒瓶たちの向こうから、店主らしき男が豪快に笑ってみせた。小柄だが、声は大きい。
「試してみるかい?」
「できるのか?」
「ああ。こっちが果実酒だ」
話しながら、店主は酒瓶から小さな器に器用に移し替える。果実酒といって差し出してきた液体は、薄いオレンジの色をしていた。テュオハリムの方を見ると、飲むように視線だけで促される。
「じゃあ、ちょっとだけ」
あまり乗り気ではないが、とアイヴィは喉の奥で呟きながら器を煽る。飲み下すと、喉が熱く感じた。が、すぐに独特の香りが鼻腔を駆ける。果実とは言っていたが、何の果実かは分からない。けれど、確かに甘い香りがした。
「美味いな。甘いかと思ったけど、そこまで甘ったるくはない」
空になった器を見つめてつぶやくと、横から嬉しそうな声が割って入る。
「香りも良いだろう。夜に水辺を眺めて嗜むのが楽しみだ」
そう呟いたテュオハリムの脳裏には、その情景が浮かんでいるようだった。そういえば、彼は野営の時でも構わず酒を飲んでいることが多い。酒が好きなのだろうか。
「風情があるね」
器を店主に戻しながら、彼に同調する。
「酒の楽しみとは、詰まるところそこにあると思っている」
「何だか高尚だなあ。わたしは美味ければなんでもいいよ」
苦笑すると、テュオハリムはつまらなさそうに眉をひそめた。
「そういうものかね」
「各々でいいんじゃないか、こういう楽しみ方は。これ、買うのかい?」
あまりに素直に感情を表現する男に密かに苦笑して、訊ねる。すると、テュオハリムはまた真剣な顔に戻って、果実酒とは違う様相のラベルを貼り付けた酒瓶を指さした。
「悩んでいる。こちらもなかなか捨てがたい」
彼の指を追って眺めていると、また眼前に器が差し出された。
「これはライスを加工して作った酒だよ」
受け取った器には、無色透明の液体が入っていた。
「味の想像がつかない……」
「まあ、試してみてくれ」
またテュオハリムの方を見る。今度は、小声で「飲んでみたまえ」としっかり声をかけられた。何だか、彼の思惑通りに事が進んでいるような気がしたが、先程の果実酒も美味かったということもあり、うっかり一口で飲み下してしまった。先程よりも強い刺激が喉を通り、強い香りがこみ上げる。思わず「美味いな」と声が出てしまった。慌てて咳払いをする。また良い香りが口に広がった。
「これは意外だな。風味も何もないと思っていたけど、甘い果実のような香りがする」
「花の香にも似ているな」
何だか気障ったらしい表現に、くすぐったくなる。
「確かにな。わたしは、これが好きだな」
余韻に浸りながら、器を店主に渡した。
「では、こちらにしようか」
思いがけない提案に、思わずテュオハリムを見上げる。彼は彼で、何だかくすぐったそうな顔で笑っていた。
「いいのかい? 君が飲むんじゃないのか?」
「一人酒も良いが」
テュオハリムは言って酒瓶に手を伸ばし、取り上げるとアイヴィの目の前に差し出した。
「せっかくだ、君と飲んでみたい」
瓶に入った液体が揺れる。思わず喉が鳴った。
「なるほど、それもいいね。楽しみだ」
二つ返事で答えると、テュオハリムはすぐさま店主に酒瓶を突き出した。
「では、こちらを貰おう」
「はいはい、毎度!」
あまりの素早い対応に、ようやくアイヴィは悟る。彼らは、こうなることを予期していたのだ。店主の手は、アイヴィに差し伸べられていた。つまり、代金はアイヴィが払わなければならない。
こうして、浮いた5000ガルドは、すぐさま酒に変わっていった。
宿場までの帰路は上機嫌だった。アイヴィではなく、テュオハリムが、だが。あまりに上機嫌で、普段ならアイヴィに預けるはずの手荷物も寄越してこない。上手く策にはめられた形にはなったが、テュオハリムが嬉しそうなので良い買い物だったと納得はしている。あとはキサラへの申し開きさえ思い浮かべば言うことはない。それにしてもテュオハリムが上機嫌なことを見れば、キサラが何か文句を言えるわけでもないだろう。そう思うことにした。
「酒なんて初めて飲んだよ。存外美味いもんだね」
ふと、先程の試飲を思い返してテュオハリムに声をかけた。
「そうであったか。レネギスでは祭事以外で市民に振る舞われることはないからな」
その祭事でさえも参加したことはないが。一般市民では一応酒に触れる機会はあったらしい。
「君は飲み慣れているね」
「さすがにな」
領将の家系というのは上流階級だ。祭事であろうとなかろうと、飲みたい時に飲みたいものを飲むに決まっている。謙遜も意味がないのを知っているのが、さすがだと思った。アイヴィは、テュオハリムのこういう無駄のないところを気に入っている。
「美味い飯も、美味い酒も、わたしはレネギスにいたら何も知らないままだった」
レネギスでの暮らしを思い起こそうとして、やめた。楽しい思い出はほとんどないからだ。
「君たちは本当に物知りだね。色々と教えてもらえて、楽しいよ」
味のしない栄養食の代わりに、様々な風味のする食事を与えてくれたのはシオンやキサラだ。それが楽しいことだと教えてくれたのは、共に食事をしてくれている皆だった。皆が知っている楽しみを共有してくれていることが、たまらなく嬉しかった。
「それは良かった」
目を細めるテュオハリムに、何となくこちらも笑顔で返してしまった。
「だが、私も君に教えてもらえたことがある」
「そんなこと、あるかい?」
首を傾げると、テュオハリムは視線を道の先へ移した。
「ああ。誰かと飲む酒が、こんなに楽しみだとは」
ふとテュオハリムは足を止める。少し屈んだ彼が、アイヴィの顔を覗き込んだ。
「君の喜ぶ顔が眼前に広がる」
何となく気恥ずかしくて、アイヴィは視線を逸らす。
「いや、気が早いだろ、それは」
「それほど期待しているということだ」
満足したようで、テュオハリムは再び歩を進めた。慌ててアイヴィも追いかける。
「もしかして、わたしは君に子供だと思われているのかい?」
「まさか。子供であれば晩酌には誘わんよ」
「どうだかなあ」
訝って眉をひそめると、また笑われた。まあ、今のは子供っぽい仕草だったと自覚はしている。
ふと前を見て歩き始めると、今夜の献立が気になった。頼まれた野菜類で何を作るのだろうか。試飲したばかりの酒が、もう飲みたくなってくる。あの香りはすっかり気に入ってしまった。
「テュオ」
前を向いたまま、思わずテュオハリムを呼び止めてしまう。少し先を行ったテュオハリムは、やおら足を止めて振り返った。
「何だ」
「わたしも、君と飲む酒が楽しみなようだ」
テュオハリムの顔を見上げて覗き込む。
「君の喜ぶ顔が眼前に広がっている」
一瞬目を見張った彼は、だがすぐに踵を返して歩き始めてしまった。慌てたアイヴィが彼の横に追いつくと、
「気の早いことだ」
こちらを見ずにつぶやかれてしまう。それも何だか子供っぽい仕草だな、とアイヴィは思った。
「お互い様だよ」
同じセリフを言ってしまったのが、何となく気恥ずかしいような、嬉しいような気がして、アイヴィは心の中で「楽しいな」と呟いた。
「確かに」
ややあって返ってきた言葉に、苦笑する。まるで心の中を見透かされたようなタイミングが可笑しかった。
宿場までの道のりで、アイヴィは広がる心地の良い感情を噛み締めていた。
#TOAR #テュオハリム
幾度目かの買い出しで、アイヴィは満足する仕事ができたと評価していた。キサラから渡されたメモは的確だったし、量も項目も完璧に揃えて購入することができた。あとは、渡された金を使い果たさずに買い物を終了することができた。何なら5000ガルドほど余裕がある。きっと、戻ったらキサラに褒められるだろう。紙袋を抱え、帰路に至っている最中だった。既に日が落ちかけているので、小走りに市場を駆け抜ける。
市場の端の方には、嗜好品である酒やら珍味の類を集めた店が出ていた。普段なら素通りするところだが、今回は見知った顔が何やら真剣に商品を吟味している。そういえば、今回の買い出しは量が多いからと二手に分かれていたのを思い出した。とはいえ、彼の方は荷物が少ないようだが。
「何だ。戻らないと思ったら、ここか、テュオ」
背後から声をかけると、テュオハリムはちらりと一瞥をくれただけですぐに商品に視線を戻す。
「すまない、もう少し吟味しておきたい」
一々真面目な奴だ、と考えてから彼の視線を追う。酒瓶のようなもののラベルを真剣に見つめていた。
「酒か?」
「ああ。少し良いのを持っておきたくてね」
「どれも味なんて変わらんだろ」
「そうでもない」
呆れ混じりにため息をつくと、むっとしたように返される。その様子を眺めていたのか、酒瓶たちの向こうから、店主らしき男が豪快に笑ってみせた。小柄だが、声は大きい。
「試してみるかい?」
「できるのか?」
「ああ。こっちが果実酒だ」
話しながら、店主は酒瓶から小さな器に器用に移し替える。果実酒といって差し出してきた液体は、薄いオレンジの色をしていた。テュオハリムの方を見ると、飲むように視線だけで促される。
「じゃあ、ちょっとだけ」
あまり乗り気ではないが、とアイヴィは喉の奥で呟きながら器を煽る。飲み下すと、喉が熱く感じた。が、すぐに独特の香りが鼻腔を駆ける。果実とは言っていたが、何の果実かは分からない。けれど、確かに甘い香りがした。
「美味いな。甘いかと思ったけど、そこまで甘ったるくはない」
空になった器を見つめてつぶやくと、横から嬉しそうな声が割って入る。
「香りも良いだろう。夜に水辺を眺めて嗜むのが楽しみだ」
そう呟いたテュオハリムの脳裏には、その情景が浮かんでいるようだった。そういえば、彼は野営の時でも構わず酒を飲んでいることが多い。酒が好きなのだろうか。
「風情があるね」
器を店主に戻しながら、彼に同調する。
「酒の楽しみとは、詰まるところそこにあると思っている」
「何だか高尚だなあ。わたしは美味ければなんでもいいよ」
苦笑すると、テュオハリムはつまらなさそうに眉をひそめた。
「そういうものかね」
「各々でいいんじゃないか、こういう楽しみ方は。これ、買うのかい?」
あまりに素直に感情を表現する男に密かに苦笑して、訊ねる。すると、テュオハリムはまた真剣な顔に戻って、果実酒とは違う様相のラベルを貼り付けた酒瓶を指さした。
「悩んでいる。こちらもなかなか捨てがたい」
彼の指を追って眺めていると、また眼前に器が差し出された。
「これはライスを加工して作った酒だよ」
受け取った器には、無色透明の液体が入っていた。
「味の想像がつかない……」
「まあ、試してみてくれ」
またテュオハリムの方を見る。今度は、小声で「飲んでみたまえ」としっかり声をかけられた。何だか、彼の思惑通りに事が進んでいるような気がしたが、先程の果実酒も美味かったということもあり、うっかり一口で飲み下してしまった。先程よりも強い刺激が喉を通り、強い香りがこみ上げる。思わず「美味いな」と声が出てしまった。慌てて咳払いをする。また良い香りが口に広がった。
「これは意外だな。風味も何もないと思っていたけど、甘い果実のような香りがする」
「花の香にも似ているな」
何だか気障ったらしい表現に、くすぐったくなる。
「確かにな。わたしは、これが好きだな」
余韻に浸りながら、器を店主に渡した。
「では、こちらにしようか」
思いがけない提案に、思わずテュオハリムを見上げる。彼は彼で、何だかくすぐったそうな顔で笑っていた。
「いいのかい? 君が飲むんじゃないのか?」
「一人酒も良いが」
テュオハリムは言って酒瓶に手を伸ばし、取り上げるとアイヴィの目の前に差し出した。
「せっかくだ、君と飲んでみたい」
瓶に入った液体が揺れる。思わず喉が鳴った。
「なるほど、それもいいね。楽しみだ」
二つ返事で答えると、テュオハリムはすぐさま店主に酒瓶を突き出した。
「では、こちらを貰おう」
「はいはい、毎度!」
あまりの素早い対応に、ようやくアイヴィは悟る。彼らは、こうなることを予期していたのだ。店主の手は、アイヴィに差し伸べられていた。つまり、代金はアイヴィが払わなければならない。
こうして、浮いた5000ガルドは、すぐさま酒に変わっていった。
宿場までの帰路は上機嫌だった。アイヴィではなく、テュオハリムが、だが。あまりに上機嫌で、普段ならアイヴィに預けるはずの手荷物も寄越してこない。上手く策にはめられた形にはなったが、テュオハリムが嬉しそうなので良い買い物だったと納得はしている。あとはキサラへの申し開きさえ思い浮かべば言うことはない。それにしてもテュオハリムが上機嫌なことを見れば、キサラが何か文句を言えるわけでもないだろう。そう思うことにした。
「酒なんて初めて飲んだよ。存外美味いもんだね」
ふと、先程の試飲を思い返してテュオハリムに声をかけた。
「そうであったか。レネギスでは祭事以外で市民に振る舞われることはないからな」
その祭事でさえも参加したことはないが。一般市民では一応酒に触れる機会はあったらしい。
「君は飲み慣れているね」
「さすがにな」
領将の家系というのは上流階級だ。祭事であろうとなかろうと、飲みたい時に飲みたいものを飲むに決まっている。謙遜も意味がないのを知っているのが、さすがだと思った。アイヴィは、テュオハリムのこういう無駄のないところを気に入っている。
「美味い飯も、美味い酒も、わたしはレネギスにいたら何も知らないままだった」
レネギスでの暮らしを思い起こそうとして、やめた。楽しい思い出はほとんどないからだ。
「君たちは本当に物知りだね。色々と教えてもらえて、楽しいよ」
味のしない栄養食の代わりに、様々な風味のする食事を与えてくれたのはシオンやキサラだ。それが楽しいことだと教えてくれたのは、共に食事をしてくれている皆だった。皆が知っている楽しみを共有してくれていることが、たまらなく嬉しかった。
「それは良かった」
目を細めるテュオハリムに、何となくこちらも笑顔で返してしまった。
「だが、私も君に教えてもらえたことがある」
「そんなこと、あるかい?」
首を傾げると、テュオハリムは視線を道の先へ移した。
「ああ。誰かと飲む酒が、こんなに楽しみだとは」
ふとテュオハリムは足を止める。少し屈んだ彼が、アイヴィの顔を覗き込んだ。
「君の喜ぶ顔が眼前に広がる」
何となく気恥ずかしくて、アイヴィは視線を逸らす。
「いや、気が早いだろ、それは」
「それほど期待しているということだ」
満足したようで、テュオハリムは再び歩を進めた。慌ててアイヴィも追いかける。
「もしかして、わたしは君に子供だと思われているのかい?」
「まさか。子供であれば晩酌には誘わんよ」
「どうだかなあ」
訝って眉をひそめると、また笑われた。まあ、今のは子供っぽい仕草だったと自覚はしている。
ふと前を見て歩き始めると、今夜の献立が気になった。頼まれた野菜類で何を作るのだろうか。試飲したばかりの酒が、もう飲みたくなってくる。あの香りはすっかり気に入ってしまった。
「テュオ」
前を向いたまま、思わずテュオハリムを呼び止めてしまう。少し先を行ったテュオハリムは、やおら足を止めて振り返った。
「何だ」
「わたしも、君と飲む酒が楽しみなようだ」
テュオハリムの顔を見上げて覗き込む。
「君の喜ぶ顔が眼前に広がっている」
一瞬目を見張った彼は、だがすぐに踵を返して歩き始めてしまった。慌てたアイヴィが彼の横に追いつくと、
「気の早いことだ」
こちらを見ずにつぶやかれてしまう。それも何だか子供っぽい仕草だな、とアイヴィは思った。
「お互い様だよ」
同じセリフを言ってしまったのが、何となく気恥ずかしいような、嬉しいような気がして、アイヴィは心の中で「楽しいな」と呟いた。
「確かに」
ややあって返ってきた言葉に、苦笑する。まるで心の中を見透かされたようなタイミングが可笑しかった。
宿場までの道のりで、アイヴィは広がる心地の良い感情を噛み締めていた。
#TOAR #テュオハリム