「う……」
自分のうめき声で、気がついた。目を開けると、心配そうに眉を顰めているメグがいた。まず、体を起こす。
「ヒュー君、大丈夫?」
メグに抱え起こされ、ようやく周りが見えてきた。薄暗いが、屋内というわけでもないらしい。どこかの屋敷が崩れかけた跡なのだろうか。ヒューバートたちが寝かされていた辺りには屋根と呼ぶには頼りない程度のものがついていた。
「うん……ここは……」
「分からない。私も、さっき気がついたばっかりで」
首を振ったメグは、そう答えるとすぐさま離れた辺りを指差す。壊れた門扉の向こう側に、先ほどの男と、それよりやや背の低い男が話しているようだった。彼らはこちらに気づくと、やおら近づいてくる。
「おい、本当に大丈夫なんだろうな?」
背の高い方が傍らの男に不安そうに訊ねていた。
「大丈夫だって。心配性だな」
背の低い方は去なすようにして答える。背の低い方とはいうものの、それでも恐らく一般男性よりは高いのだろう。背の低い方の男も、高い方と同じような服装だ。メグがそれを見て軍人だと言っていたのだから、恐らく二人とも軍服を着ているのだろう。ここへ来るまでに出会った人々の中にも、これと同じような服装をした人がいた。
「そうじゃない。俺が心配してるのは、おまえの話だ」
「だから、大丈夫だ。上手くやってるよ」
「それならいいが……」
ちょうどメグとヒューバートの前でぴたりと足を止めた二人は、同時にかがみ込む。背の低い方の男がメグの髪を掴み、彼の眼前に寄せる。
「本当にガキだな」
「そっくりだろ」
まじまじと彼女の顔を見回した男は、背の高い男に言われてからメグを離し、また二人同時に立ち上がる。頭を撫でながら、メグは顔をしかめていた。髪を掴まれていたせいで、痛かったのだろう。男たちにつられて立ち上がると、背の低い方が訊ねる。
「おい、ガキども。あそこで何をしていた?」
「別に、何ってことはないけど」
すぐに答えたのはメグだった。その通りで、花を見ていただけだ。いや、それなら花を見に来たと素直に言えばいい。彼らは軍人なのだから、子供のしたことだと判断してくれるはずだ。何故、濁すようなことを言ったのだろうか。
「ここは立ち入り禁止区域だ。分かってて入ったのか?」
「それは……そうだけど、お兄さんたちだって同じじゃない」
「俺らは軍人だ」
免罪符のようにして言う背の低い男を、メグが睨み上げる。
「嘘。階級章が低すぎる、ここには入れないわよ」
「何だと?」
男は驚いた様子で、背の高い方を見る。背の高い方は、呆れたように首を振った。
「本当だよ。ナントカ将軍みたいなレベルじゃないと、立ち入りは許されない」
同じ軍服を着ているが、彼らの知識量には差があるらしい。同じ親から産まれたのに、しかもヒューバートの方が弟だというのに、兄よりも物知りだと言われていた自分たちのようだ。そう言われれば、彼らの顔も少し似ている気がしてくる。髪の色も同じだ。
「おい、何でおまえがそれを知ってる?」
背の低い方がメグに向かって訊ねる。
「一般常識でしょ」
小馬鹿にしたようにしてメグが答えると、訊ねた男の方はむっと眉を寄せた。
「じゃあ、10年前にここで何が起きたかも知ってるだろ」
「それは……」
言い淀む彼女には、男が言わんとしている事に心当たりはあるらしい。けれど、そんなことは関係なかった。彼女が、ヒューバートをここへ連れて来たのには違う理由があるということは知っていたからだ。
「何故、ここに来た?」
再び、今度は背の高い方の男がメグに手を伸ばす。このままだと、また酷い目に遭わされる。思った時には、メグと男の間に割って入っていた。
「ぼくが、連れてきてほしいって頼んだんだ!」
身長の都合でメグを完全に隠すことはできなかったが、それでも何もないよりはマシだったはずだ。
「ちょっと」
ヒューバートを除けようとするメグを、逆に押しのける。
「花が見たいって……故郷に咲いていた花と同じのが見たいって、頼んだ。だから、彼女は関係ない。ぼくが、全部頼んだことなんだから」
心臓が飛び出てきそうだった。自分よりも大きな男に、こうやって敵意を向けるなんてことをしたことがなかった。しばしこちらを見下ろしていた男だが、困ったように傍らの男に視線を移す。
「どうする?」
「どうするもこうするも、こいつ共々処分するしかねえだろ。後々、害にしかならん」
背の低い方は首を振る。再び目の合った背の高い方は、何とも煮え切らないような表情になっていた。
「子供を……殺すのか」
背筋がぞっとする。ここに来て、やっと危機感が現実味を帯びてきた。このままだと、ヒューバートもメグも殺されてしまう。
「何言ってんだ、今更。元はと言えば、おまえが仕留め損ねたのが原因だろ」
「そうだけど……」
やり取りを観察していると、どうやら背の高い方は乗り気ではないらしい。背の低い方がやや強気ではあった。背後に隠したメグをちらりと見ると、俯いている。怖いのだろうか。だとしたら、怖がっている女の子を放って泣き出すわけにはいかない。いつも、兄やシェリアに囲まれて一番年下だったヒューバートにとって、こういう決意をしたのは初めてかもしれなかった。
「大丈夫だ、俺がやる。おまえはそこで見てろ」
ついに背の高い方を退かした男は、腰に下げていた剣をゆっくりと抜き放った。
「待て! 待ってくれ!!」
慌てて背の高い方の男が背の低い方の腕を引く。振りかぶった男の剣先が光って見えて、思わず目をそらした。
「おい、いい加減に……!?」
メグを庇おうと両手を広げた時だった。その腕は、軽々と押しのけられる。瞬間、男達と自分たちの間に炎の壁が広がる。その炎に向かって手をかざしているのは、メグだった。
「くそっ!? こ、こいつ……」
「煇術くらい、誰でも使えるって!」
壁の向こうで暑さに呻く男に、メグは舌を出してみせていた。彼女は誰でも、と言ったが、恐らく専門教育でも受けていないと、この歳で放つには難しい煇術だろう。さすがストラタのお嬢様だ、と内心で感心した。
「急ごう! 早く逃げるの!!」
「う、うん!」
腕を引かれ、また彼女にされるがまま走り出す。だが、違和感があった。先ほどは左腕を引かれていたのに、今引かれているのは右腕だ。しばらく走ってから、ようやくその理由に気づく。走りながら適当に身を隠せるような箇所を探し、今度はメグを引っ張ってそちらへ連れて行く。ヒューバートたちが寝かされていた屋敷よりは幾分損傷の少ない家の門扉の陰にしゃがみ込み、男達の靴の音をやり過ごす。何も言わず、メグの右腕を掴むと、ぬるりとした感触があった。暗がりで良く見えないが、恐らく血液だろう。彼女が煇術を放つ瞬間、ヒューバートを退けたような動作をしたのは、男の剣からヒューバートを守るためだった。庇ったつもりが、あの目をそらした瞬間に庇われてしまっていたことになる。自分でも、情けなくなった。
「おまえら!!」
壊れかけた門扉を蹴る音に、驚き身を堅くする。すぐさま、メグに腕を引かれる。背の低い方の男が足を出す瞬間を狙い、その横を抜けた。男が舌打ちするのが聞こえて、また怖くなった。先を走る彼女は、怖くはないのだろうか。剣で腕を切られて、背の高い男達に殺意を向けられて、それでもまだ正常な判断で冷静に抜けて行く。とても一つ年下の少女とは思えない。自分だって、何か役に立てるはずだ。そう思って振り向くと、すぐ近くにまで背の低い方の男が迫ってきていた。
「わっ、追ってきた!?」
思わず声を上げると、メグはぴたりと足を止める。
「ヒュー君、伏せて!」
「う、うん!」
ヒューバートがその場にうずくまるのと同時に、圧のかかった風が抜けていく。ごりごり、と音がしてそちらを見ると、男の足元にあったはずの石畳が削られている。
「外した」
ぼそりと呟いたメグは、だが今の攻撃を虚を突かれた男が呆然としているうちに走り出す。
あと少しで立入禁止の札が見えるところまで来て安堵した辺りだった。先を走るメグが、がくりと膝を折って倒れ込む。慌てて駆け寄ると、切られた右腕が真っ赤に染まっているのが分かった。
「大丈夫!?」
「大丈夫、もう少しなら保つと思う……」
そう言ったメグの息は荒かった。見て分かる。石畳の上に点々とつけられた血痕は、彼女の腕から流れているものだ。このままだと、どこへ隠れても見つかってしまう。ヒューバートには煇術もなく、武器になるものもない。それに、それを行使する力もなかった。倒れ込んだメグを朽ちた建物の陰まで引っ張って移動させ、仕舞い込んでいたハンカチを取り出し、傷と思しき箇所の上の方を縛る。こんなことをしたって、どうにもならないのは分かっていた。
「血……止まらないよ……」
段々と視界がぼやけてくる。
「大丈夫だよ、泣かないで」
ぽんぽん、と頭を二度ほど撫でられた。まるで、小さな子供にするようだ。自分よりも年下の女の子にそうされたのが急に恥ずかしくなって、袖で涙を拭う。
「な、泣いてないよ」
「ありがと」
首を振ると、メグはにこりと笑った。
「私のために、泣いてくれて。うれしいよ」
その笑顔の先が怖くて目をそらしたかった。けど、そうしなかったのは、もう二度と同じ轍は踏まないと決めたからだ。
「このガキが!!」
男の怒号が響くのと、メグが体を翻したのは同時だ。今度はちゃんと見えた。
「だからね」
恐らく煇術で出現させたのであろう水と、メグの血が混ざり合ったものが辺りに散る。もう彼女に煇力なんて残っていないはずだ。目くらましにもならない、水しぶきだった。
「メグ!!」
「早く、逃げて……行って」
メグは口早にそれだけ言う。男の足が振り上がるのが見えた。
「うっ……」
もう二度と同じ轍は踏まないと決意したはずだった。目をそらして踵を返し、泣きそうになる自分を励ます。そのまま一気にユ・リベルテの中心街を目指した。悲鳴も、怒号も聞こえないようにして。
#TOG #-Pre-Episode
自分のうめき声で、気がついた。目を開けると、心配そうに眉を顰めているメグがいた。まず、体を起こす。
「ヒュー君、大丈夫?」
メグに抱え起こされ、ようやく周りが見えてきた。薄暗いが、屋内というわけでもないらしい。どこかの屋敷が崩れかけた跡なのだろうか。ヒューバートたちが寝かされていた辺りには屋根と呼ぶには頼りない程度のものがついていた。
「うん……ここは……」
「分からない。私も、さっき気がついたばっかりで」
首を振ったメグは、そう答えるとすぐさま離れた辺りを指差す。壊れた門扉の向こう側に、先ほどの男と、それよりやや背の低い男が話しているようだった。彼らはこちらに気づくと、やおら近づいてくる。
「おい、本当に大丈夫なんだろうな?」
背の高い方が傍らの男に不安そうに訊ねていた。
「大丈夫だって。心配性だな」
背の低い方は去なすようにして答える。背の低い方とはいうものの、それでも恐らく一般男性よりは高いのだろう。背の低い方の男も、高い方と同じような服装だ。メグがそれを見て軍人だと言っていたのだから、恐らく二人とも軍服を着ているのだろう。ここへ来るまでに出会った人々の中にも、これと同じような服装をした人がいた。
「そうじゃない。俺が心配してるのは、おまえの話だ」
「だから、大丈夫だ。上手くやってるよ」
「それならいいが……」
ちょうどメグとヒューバートの前でぴたりと足を止めた二人は、同時にかがみ込む。背の低い方の男がメグの髪を掴み、彼の眼前に寄せる。
「本当にガキだな」
「そっくりだろ」
まじまじと彼女の顔を見回した男は、背の高い男に言われてからメグを離し、また二人同時に立ち上がる。頭を撫でながら、メグは顔をしかめていた。髪を掴まれていたせいで、痛かったのだろう。男たちにつられて立ち上がると、背の低い方が訊ねる。
「おい、ガキども。あそこで何をしていた?」
「別に、何ってことはないけど」
すぐに答えたのはメグだった。その通りで、花を見ていただけだ。いや、それなら花を見に来たと素直に言えばいい。彼らは軍人なのだから、子供のしたことだと判断してくれるはずだ。何故、濁すようなことを言ったのだろうか。
「ここは立ち入り禁止区域だ。分かってて入ったのか?」
「それは……そうだけど、お兄さんたちだって同じじゃない」
「俺らは軍人だ」
免罪符のようにして言う背の低い男を、メグが睨み上げる。
「嘘。階級章が低すぎる、ここには入れないわよ」
「何だと?」
男は驚いた様子で、背の高い方を見る。背の高い方は、呆れたように首を振った。
「本当だよ。ナントカ将軍みたいなレベルじゃないと、立ち入りは許されない」
同じ軍服を着ているが、彼らの知識量には差があるらしい。同じ親から産まれたのに、しかもヒューバートの方が弟だというのに、兄よりも物知りだと言われていた自分たちのようだ。そう言われれば、彼らの顔も少し似ている気がしてくる。髪の色も同じだ。
「おい、何でおまえがそれを知ってる?」
背の低い方がメグに向かって訊ねる。
「一般常識でしょ」
小馬鹿にしたようにしてメグが答えると、訊ねた男の方はむっと眉を寄せた。
「じゃあ、10年前にここで何が起きたかも知ってるだろ」
「それは……」
言い淀む彼女には、男が言わんとしている事に心当たりはあるらしい。けれど、そんなことは関係なかった。彼女が、ヒューバートをここへ連れて来たのには違う理由があるということは知っていたからだ。
「何故、ここに来た?」
再び、今度は背の高い方の男がメグに手を伸ばす。このままだと、また酷い目に遭わされる。思った時には、メグと男の間に割って入っていた。
「ぼくが、連れてきてほしいって頼んだんだ!」
身長の都合でメグを完全に隠すことはできなかったが、それでも何もないよりはマシだったはずだ。
「ちょっと」
ヒューバートを除けようとするメグを、逆に押しのける。
「花が見たいって……故郷に咲いていた花と同じのが見たいって、頼んだ。だから、彼女は関係ない。ぼくが、全部頼んだことなんだから」
心臓が飛び出てきそうだった。自分よりも大きな男に、こうやって敵意を向けるなんてことをしたことがなかった。しばしこちらを見下ろしていた男だが、困ったように傍らの男に視線を移す。
「どうする?」
「どうするもこうするも、こいつ共々処分するしかねえだろ。後々、害にしかならん」
背の低い方は首を振る。再び目の合った背の高い方は、何とも煮え切らないような表情になっていた。
「子供を……殺すのか」
背筋がぞっとする。ここに来て、やっと危機感が現実味を帯びてきた。このままだと、ヒューバートもメグも殺されてしまう。
「何言ってんだ、今更。元はと言えば、おまえが仕留め損ねたのが原因だろ」
「そうだけど……」
やり取りを観察していると、どうやら背の高い方は乗り気ではないらしい。背の低い方がやや強気ではあった。背後に隠したメグをちらりと見ると、俯いている。怖いのだろうか。だとしたら、怖がっている女の子を放って泣き出すわけにはいかない。いつも、兄やシェリアに囲まれて一番年下だったヒューバートにとって、こういう決意をしたのは初めてかもしれなかった。
「大丈夫だ、俺がやる。おまえはそこで見てろ」
ついに背の高い方を退かした男は、腰に下げていた剣をゆっくりと抜き放った。
「待て! 待ってくれ!!」
慌てて背の高い方の男が背の低い方の腕を引く。振りかぶった男の剣先が光って見えて、思わず目をそらした。
「おい、いい加減に……!?」
メグを庇おうと両手を広げた時だった。その腕は、軽々と押しのけられる。瞬間、男達と自分たちの間に炎の壁が広がる。その炎に向かって手をかざしているのは、メグだった。
「くそっ!? こ、こいつ……」
「煇術くらい、誰でも使えるって!」
壁の向こうで暑さに呻く男に、メグは舌を出してみせていた。彼女は誰でも、と言ったが、恐らく専門教育でも受けていないと、この歳で放つには難しい煇術だろう。さすがストラタのお嬢様だ、と内心で感心した。
「急ごう! 早く逃げるの!!」
「う、うん!」
腕を引かれ、また彼女にされるがまま走り出す。だが、違和感があった。先ほどは左腕を引かれていたのに、今引かれているのは右腕だ。しばらく走ってから、ようやくその理由に気づく。走りながら適当に身を隠せるような箇所を探し、今度はメグを引っ張ってそちらへ連れて行く。ヒューバートたちが寝かされていた屋敷よりは幾分損傷の少ない家の門扉の陰にしゃがみ込み、男達の靴の音をやり過ごす。何も言わず、メグの右腕を掴むと、ぬるりとした感触があった。暗がりで良く見えないが、恐らく血液だろう。彼女が煇術を放つ瞬間、ヒューバートを退けたような動作をしたのは、男の剣からヒューバートを守るためだった。庇ったつもりが、あの目をそらした瞬間に庇われてしまっていたことになる。自分でも、情けなくなった。
「おまえら!!」
壊れかけた門扉を蹴る音に、驚き身を堅くする。すぐさま、メグに腕を引かれる。背の低い方の男が足を出す瞬間を狙い、その横を抜けた。男が舌打ちするのが聞こえて、また怖くなった。先を走る彼女は、怖くはないのだろうか。剣で腕を切られて、背の高い男達に殺意を向けられて、それでもまだ正常な判断で冷静に抜けて行く。とても一つ年下の少女とは思えない。自分だって、何か役に立てるはずだ。そう思って振り向くと、すぐ近くにまで背の低い方の男が迫ってきていた。
「わっ、追ってきた!?」
思わず声を上げると、メグはぴたりと足を止める。
「ヒュー君、伏せて!」
「う、うん!」
ヒューバートがその場にうずくまるのと同時に、圧のかかった風が抜けていく。ごりごり、と音がしてそちらを見ると、男の足元にあったはずの石畳が削られている。
「外した」
ぼそりと呟いたメグは、だが今の攻撃を虚を突かれた男が呆然としているうちに走り出す。
あと少しで立入禁止の札が見えるところまで来て安堵した辺りだった。先を走るメグが、がくりと膝を折って倒れ込む。慌てて駆け寄ると、切られた右腕が真っ赤に染まっているのが分かった。
「大丈夫!?」
「大丈夫、もう少しなら保つと思う……」
そう言ったメグの息は荒かった。見て分かる。石畳の上に点々とつけられた血痕は、彼女の腕から流れているものだ。このままだと、どこへ隠れても見つかってしまう。ヒューバートには煇術もなく、武器になるものもない。それに、それを行使する力もなかった。倒れ込んだメグを朽ちた建物の陰まで引っ張って移動させ、仕舞い込んでいたハンカチを取り出し、傷と思しき箇所の上の方を縛る。こんなことをしたって、どうにもならないのは分かっていた。
「血……止まらないよ……」
段々と視界がぼやけてくる。
「大丈夫だよ、泣かないで」
ぽんぽん、と頭を二度ほど撫でられた。まるで、小さな子供にするようだ。自分よりも年下の女の子にそうされたのが急に恥ずかしくなって、袖で涙を拭う。
「な、泣いてないよ」
「ありがと」
首を振ると、メグはにこりと笑った。
「私のために、泣いてくれて。うれしいよ」
その笑顔の先が怖くて目をそらしたかった。けど、そうしなかったのは、もう二度と同じ轍は踏まないと決めたからだ。
「このガキが!!」
男の怒号が響くのと、メグが体を翻したのは同時だ。今度はちゃんと見えた。
「だからね」
恐らく煇術で出現させたのであろう水と、メグの血が混ざり合ったものが辺りに散る。もう彼女に煇力なんて残っていないはずだ。目くらましにもならない、水しぶきだった。
「メグ!!」
「早く、逃げて……行って」
メグは口早にそれだけ言う。男の足が振り上がるのが見えた。
「うっ……」
もう二度と同じ轍は踏まないと決意したはずだった。目をそらして踵を返し、泣きそうになる自分を励ます。そのまま一気にユ・リベルテの中心街を目指した。悲鳴も、怒号も聞こえないようにして。
#TOG #-Pre-Episode