Pre-Episode:5

 家の前で仁王立ちをしている女性を見つけてしまった。彼女は、メグにすら怒鳴りつけるほどのメイドだ。この先、何を言われるか想像に難くない。が、ヒューバートたちの姿を見るなり、彼女は一度屋敷の中へ向かって大声をだす。
「旦那様! 帰ってきましたよ!!」
 ややあってのそりと出てきたのは、養父であるガリード・オズウェルだった。彼はこちらを一瞥すると、どうやらメグの方を見て小さく溜め息を吐く。
「ああ……良かった、無事だったか」
 こちらへ駆け寄って来た養父は、メグの頭をぽんぽんと二度程軽く叩いた。彼女はそのまま頭を下げる。
「ごめんなさい、おじさま」
 上着の裾を握っているメグの両手は震えていた。強がってはいるものの、彼女だって恐怖を感じなかったわけではなかったらしい。その恐怖というのがあの男たちによるものというより、オズウェルと対峙している今の方が強そうだというのが、ヒューバートにとって恐ろしいことだが。
「私が無理に連れ出したの。おじさまの言いつけを破って、ごめんなさい」
「いや、おまえが無事なら、それでいい」
 だが、予想外に優しい言葉がかけられて、メグ同様ヒューバートも驚いて顔を上げ、オズウェルを見る。彼は今までみたこともないような慈愛に満ちた表情をして、メグの腕をとる。彼女の腕から血は止まっていたが、拭う時間もなかったためにまだ血にまみれたままだった。子供が転んで血が出ていても、手当てどころか手が汚れるからと触ろうともしない人が、そういう行動に出たのが不思議でならない。
「怪我をしたのか?」
 慌てて手を引き、彼女は自分の背後に腕を隠す。慌てて一歩出た。
「こ、これは……ぼくを庇ったから……」
「そうか。ヒューバートを守ったのか」
 言ったオズウェルは、既にヒューバートを見ていない。まるでいないように扱われていた。
「よくやった」
 そうして、養父はメグの頭を撫でる。緊張したような面持ちのメグとは対照的に、オズウェルの表情は明るかった。
「おじさま」
 彼女が二の句を継ぐより先にオズウェルがヒューバートの方へ向いた。何を言われるかと期待したが、それはあっけなく裏切られる。
「おまえは早く中へ入りなさい。メグも家へ戻るといい。ベレスフォード卿が心配していた」
 すぐにメグの方へ話題を戻したオズウェルの言葉に、肩を落として従う。メイドに背中を押され、玄関扉に向かう。
「でも」
 背後から、メグの声がする。
「一つだけ聞こう。何故、ヒューバートを庇った?」
 続いて、オズウェルが声を落とした。ヒューバートに聞かれたくない話なのだろう。
「それは……だって、私のせいで巻き込まれてしまったんだし」
「巻き込むために、あの場所へ行ったのだろう」
 ぎくり、とする。だが、振り返らない。先が気になった。
「いい案だが、あれは私の弱点にすらならん。もう少し考えると良い」
「おじさま!」
 抗議の声は半ばで途切れる。ヒューバートの後ろでメイドが派手な音を立ててドアを閉めたからだ。慌てて振り向くと、彼女は首を横に振る。何かを聞こうとしたが、メイドに何を言っても仕方のない話だ。
 暫くしてからオズウェルが戻って来た。先ほどとは打って変わって難しい表情になっていた彼に、開きかけていた口をそのまま開く。
「あの……お義父さん」
「部屋へ戻れ、ヒューバート」
 厳しい口調でそれだけ言うと、足早に近づいてくる。観念して俯いた。
「は、はい……」
「当分は謹慎だ。しっかり勉学に励めよ」
「はい」
 ぽん、と軽くヒューバートの肩を叩き、オズウェルはソファの方へ向かう。それからどっかりと腰掛け、はあ、とため息をついた。それが合図のようで、メイドが弾かれたように奥へ向かって行った。恐らく、茶の準備だろう。くつろぐにはヒューバートの存在が邪魔なのだ。オズウェルの意図を理解し、徐に自室へ向かおうと歩き出す。
 廊下に出ると、先ほどのメイドとすれ違った。慌ててティーセットを運ぶ彼女を横目で見送ってから足を止める。期待通り、ややあって彼女の声が聞こえてきた。
「良いのですか、旦那様?」
「何がだ?」
「お咎めもなしだなんて、他の方々に示しがつかないと思いますが」
 メイドの言った他の方々というのは、他の養子のことだろう。即座にオズウェルが返す。
「誰に向かって口をきいているか」
「出過ぎた真似をしました。申し訳ありません」
 しおらしいメイドの声に満足したのか、オズウェルは緩慢に続ける。
「これで良い」
 続く言葉は、ひどく含みを持ったものだった。
「良い牽制にはなっただろう」
 その意味を考えこむのはこの場所ではない。思い直し、慌てて自室へ向かう。

 自室に戻ったヒューバートは、机の上に置きっ放しだった本の表紙に目を落とす。ストラタ史と書かれたそれに触れる。感触はざらざらで冷たいくらいなのに、指先で触れた中心だけやけに熱い。勉学に励め、という養父の言葉の意味が分かったような気がした。ストラタを学べ、そして早くこの国を祖国とまで思えるようになれ。
 先ほどまで自分たちに危害を加えようとしていた男たちも、それらから助けてくれた軍人も、全員ストラタ人だ。この国が良い国かどうかなんて分からない。けれど、落ち込んでいたヒューバートを励まそうと連れ出してくれたのも、身を呈して自分を守ろうとして怪我を負ったのも、メグだ。彼女だってストラタで生まれ育ったストラタ人だった。彼女が良い人かどうかも分からないけれど、そうしてくれたのは事実だ。

 ぼくは、まだこの国のことを何も知らない。何故ここにいるのかも知らない。だったら、全部調べて吸収するだけだ。何も知らなければ、父にだって文句すら言えない。

 表紙を触れた指先にぐっと力を込める。覚悟を決める時だ。何もできなかった自分に訣別する時だ。こんな思いは何度も味わうべきものじゃない。


#TOG #-Pre-Episode
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