10年も前には、こうして応接間に通されることになるとは思っていなかっただろう。生まれ育った家で客としてもてなされるのは慣れていなかったが、最早この家の人間ではないと突きつけられているようで潔かった。未練がないと言えば嘘になるが、もう今更になってこの家に戻れというのも無理な話だ。ヒューバートの祖国は、もうここにはない。
フレデリックが淹れてくれた茶は、すでに冷めてしまっていた。それに口を付けるか迷っていると、向かいに座っていた母が口を開く。
「珍しく私に話があると思ったら……」
困ったような顔をしている母は、そう呟くとカップを口にする。
「でも、聞いておかなくてはいけない話ですから」
「そう……そうですね。お父様が亡くなられてから、もうこの話ができるのは私と」
音も立てずにカップを置いた母は、彼女の背後にある窓を見て続ける。
「オズウェル卿だけ、ということになりますね」
その言葉は、何故養父に訊かずにここへ来たのか、と訊ねているに違いない。
「母さんは知っているかどうかは知りませんが」
汲み取って答える。
「養父は、そういう素直な人ではありません。だから、わざわざこうして」
「そんなことはありませんよ。オズウェル卿は、あなたが思う程悪い方ではありません」
ゆるやかに首を振った母は、少しだけ頬を緩めた。
「だからこそ、お父様も卿にあなたを託したのです。事実、あなたはこうして立派に育ってくれた」
嫌な話に続けてくれるな、と思った。わだかまりが全くなくなったというわけではない。以前に比べれば、納得できるというだけだ。今でも、ラントに必要のない人間を追いやった、という根底の部分では母や父の判断を疑っているのには違いがない。
「もう、その話はいいです。それよりも、教えてください」
全て飲み込んで、息を吐く。それからカップから一口啜り、母よりも乱暴にカップを戻した。
「ぼくの養子話を持ちかけたのは、本当にオズウェルの養父からだったんですか?」
緊張で、腕が強ばる。休暇をこのタイミングにしたのは、これが訊きたかったからだ。オズウェルに訊ねなかったのは、彼経由で他に漏れることを恐れてだった。母なら、そんな心配はいらない。彼女は、ストラタから離れた地で暮らしているし、外へ出ることも少ない。だが、そう易々と話してくれるようではなかった。難しい顔をした母は、一度息を大きく吸って、また大きく吐く。
「最初に、あなたを養子に出したきっかけの話をしなくてはなりませんね」
なかなか話してくれなかったのは、母の中で整理をつけていたからだろうか。それでもゆっくりとした口調で、淡々と言葉を口にする。
「お父様にはお兄様、つまりあなたたちの伯父様にあたる方がいらしたのです。あなたも知っての通り、ラント家は代々世襲制ですから、本来ラント領主となるのはその、伯父様の方だったのですが」
伯父の存在というのは、ヒューバートも初めて知らされたものだ。兄が知っていたような素振りはなかったため、恐らくは子供には知らせないようにしていたのだろう。
「何があったのか、私も詳しくは知らないのです。でも、お父様が伯父様をラントから追い出した形になり、そうしてお父様がラント領主として収まった、ということには違いがありません」
続いた母の話に、ぎくりとする。それはまるで、あの時のヒューバートだ。兄を追い出したのは、何も自分だけではなかったのか。
「それは……」
「だからこそ、お父様は長男たるアスベルが次期領主であることに拘りを持ったのですね。つまり、あなたが……お父様の二の舞になることを恐れたのです」
なるほど、だからこそ父母はこの話をヒューバートたちには知らせなかったのだ。それをそのまま踏襲してしまうことを、父は極端に恐れたらしい。
「実際、ぼくは一度兄さんをラントから追い出してしまっています。父さんの読みは、正しかったんですね」
母は、ゆるゆると首を振る。
「でも、あなたたちはお父様たちとは違います。今は手を取り合って、協力し合えているではないですか」
「それこそ、父さんがぼくを養子へやってくれたおかげ、とも言えるかもしれませんね」
言ってから、こんな台詞が出てくることに驚く。気づかぬうちに随分と、消化していたらしい。
「お父様は、あなたが6歳になった頃から、既に養育先を探していました。特に、国外の」
「国内の養親では、ラントと対立しかねませんからね」
「ええ、それをお父様も恐れていましたよ。そして、あなたが10歳になった頃、本当に偶然出会ったのです。ストラタの商人と」
「商人、ですか?」
妙なところで出てくる人物に、首を傾げる。
「彼がオズウェル卿を紹介してくださったのですよ。お父様はすぐにオズウェル卿と面会し、彼のもとで養育してもらおうとすぐに決めてしまいました」
「その商人の名は、覚えていますか?」
訊ねると、自然と動悸がする。緊張しているのだろう。
「あなたも良く知っている方ですよ。私は、彼のお嬢さんに会ったことがあります。とても礼儀正しくて、あなたと近しいお嬢さんでした」
にこりと微笑んだ母の意図と、ヒューバートの内心はかけ離れているように感じる。もう、決定的だ。ヒューバートとオズウェルの間に仲立ちしたのは、ベレスフォード卿で間違いがない。
「もう、言わなくても分かるでしょう? ヒューバート」
立ち上がった母は、それだけ残してティーセットをいじり始めた。平和的な母の表情を見ていると、余計に動悸が激しくなる。幼い頃から抱いていた、メグへの疑心が大きくなったからだ。
#TOG #-第一話
フレデリックが淹れてくれた茶は、すでに冷めてしまっていた。それに口を付けるか迷っていると、向かいに座っていた母が口を開く。
「珍しく私に話があると思ったら……」
困ったような顔をしている母は、そう呟くとカップを口にする。
「でも、聞いておかなくてはいけない話ですから」
「そう……そうですね。お父様が亡くなられてから、もうこの話ができるのは私と」
音も立てずにカップを置いた母は、彼女の背後にある窓を見て続ける。
「オズウェル卿だけ、ということになりますね」
その言葉は、何故養父に訊かずにここへ来たのか、と訊ねているに違いない。
「母さんは知っているかどうかは知りませんが」
汲み取って答える。
「養父は、そういう素直な人ではありません。だから、わざわざこうして」
「そんなことはありませんよ。オズウェル卿は、あなたが思う程悪い方ではありません」
ゆるやかに首を振った母は、少しだけ頬を緩めた。
「だからこそ、お父様も卿にあなたを託したのです。事実、あなたはこうして立派に育ってくれた」
嫌な話に続けてくれるな、と思った。わだかまりが全くなくなったというわけではない。以前に比べれば、納得できるというだけだ。今でも、ラントに必要のない人間を追いやった、という根底の部分では母や父の判断を疑っているのには違いがない。
「もう、その話はいいです。それよりも、教えてください」
全て飲み込んで、息を吐く。それからカップから一口啜り、母よりも乱暴にカップを戻した。
「ぼくの養子話を持ちかけたのは、本当にオズウェルの養父からだったんですか?」
緊張で、腕が強ばる。休暇をこのタイミングにしたのは、これが訊きたかったからだ。オズウェルに訊ねなかったのは、彼経由で他に漏れることを恐れてだった。母なら、そんな心配はいらない。彼女は、ストラタから離れた地で暮らしているし、外へ出ることも少ない。だが、そう易々と話してくれるようではなかった。難しい顔をした母は、一度息を大きく吸って、また大きく吐く。
「最初に、あなたを養子に出したきっかけの話をしなくてはなりませんね」
なかなか話してくれなかったのは、母の中で整理をつけていたからだろうか。それでもゆっくりとした口調で、淡々と言葉を口にする。
「お父様にはお兄様、つまりあなたたちの伯父様にあたる方がいらしたのです。あなたも知っての通り、ラント家は代々世襲制ですから、本来ラント領主となるのはその、伯父様の方だったのですが」
伯父の存在というのは、ヒューバートも初めて知らされたものだ。兄が知っていたような素振りはなかったため、恐らくは子供には知らせないようにしていたのだろう。
「何があったのか、私も詳しくは知らないのです。でも、お父様が伯父様をラントから追い出した形になり、そうしてお父様がラント領主として収まった、ということには違いがありません」
続いた母の話に、ぎくりとする。それはまるで、あの時のヒューバートだ。兄を追い出したのは、何も自分だけではなかったのか。
「それは……」
「だからこそ、お父様は長男たるアスベルが次期領主であることに拘りを持ったのですね。つまり、あなたが……お父様の二の舞になることを恐れたのです」
なるほど、だからこそ父母はこの話をヒューバートたちには知らせなかったのだ。それをそのまま踏襲してしまうことを、父は極端に恐れたらしい。
「実際、ぼくは一度兄さんをラントから追い出してしまっています。父さんの読みは、正しかったんですね」
母は、ゆるゆると首を振る。
「でも、あなたたちはお父様たちとは違います。今は手を取り合って、協力し合えているではないですか」
「それこそ、父さんがぼくを養子へやってくれたおかげ、とも言えるかもしれませんね」
言ってから、こんな台詞が出てくることに驚く。気づかぬうちに随分と、消化していたらしい。
「お父様は、あなたが6歳になった頃から、既に養育先を探していました。特に、国外の」
「国内の養親では、ラントと対立しかねませんからね」
「ええ、それをお父様も恐れていましたよ。そして、あなたが10歳になった頃、本当に偶然出会ったのです。ストラタの商人と」
「商人、ですか?」
妙なところで出てくる人物に、首を傾げる。
「彼がオズウェル卿を紹介してくださったのですよ。お父様はすぐにオズウェル卿と面会し、彼のもとで養育してもらおうとすぐに決めてしまいました」
「その商人の名は、覚えていますか?」
訊ねると、自然と動悸がする。緊張しているのだろう。
「あなたも良く知っている方ですよ。私は、彼のお嬢さんに会ったことがあります。とても礼儀正しくて、あなたと近しいお嬢さんでした」
にこりと微笑んだ母の意図と、ヒューバートの内心はかけ離れているように感じる。もう、決定的だ。ヒューバートとオズウェルの間に仲立ちしたのは、ベレスフォード卿で間違いがない。
「もう、言わなくても分かるでしょう? ヒューバート」
立ち上がった母は、それだけ残してティーセットをいじり始めた。平和的な母の表情を見ていると、余計に動悸が激しくなる。幼い頃から抱いていた、メグへの疑心が大きくなったからだ。
#TOG #-第一話